曇りだね。梅干は昨日収穫す。
雨上がりの道は斑の文様なり濡れたる箇所と乾きたる場所
濡れてゐるところと乾きたるところ交互にありて歩みがたし
木の葉の枝より落ちたるは沙羅のしづくか悟りなどなし
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『孟子』尽心章句上195 孟子曰く、「君にふるなる者有り。の君に事ふれば、即ちをす者なり。社稷を安んずる臣なる者有り。社稷を安んずるを以て、悦を為す者なり。なる者有り。達して天下に行ふ可くして、る後に之を行ふ者なり。なる者有り。己を正しくして、して物正しき者なり」
人物には四段階ある君に仕える、国を安んずる、そして天民、大人、ほかも正しく感化するべし
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相馬御風編注『良寛和尚歌集』
この宮のみさかに見れば藤波の花のさかりになりにけるかも
【語義】「みさか」の「み」は尊ぶ意味を持った接頭語。
【評言】何等の説明も解釈も要しない単純平明な歌であるが、それでいて印象の深い余韻の豊かな歌である。たくらんだり、ひねくり廻したりしたのでは、到底これまで純な歌い方は出来ない。「この宮の」という以上、それは何とか固有の名を持った社であるに違いないが、それをことわる必要がないまでにこの歌では「この宮の」の「この」が力強く響く。それでいいのである。何となればこうした場合に特に「何々神社」とか「何某の社」とか云ったりすると、却って読者への印象が稀薄になるからである。そうかと云って単に「社」とか「宮」とかだけではまるで力がぬけてしまう。やはり、「この宮の」でなくてはいけない。