2024年3月3日(日)

桃の節句。良く晴れている。

  珈琲はカフェイン多く禁じられ目覚めぬばかりか眠りたくなる

  カフェラテならいいのか一日に二杯喫むなにもかはらず目覚めたりけり

  朝のひかりにわが影伸びてたちまちに自動車(くるま)に敷かれ影くだけゆく

『論語』公冶長一五 子貢が問うた。孔文子(衛の国の大夫)は、どうして文というおくり名なのでしょうか。孔子が答える。利発なうえに学問好きで、目下のものに問うことも恥じなかった。だから文というのだよ。

  諡に文といふ字をもつ孔文子敏にして学を好み下問を恥ぢず

字余りではありますが。
『正徹物語』67 「もしほ」は、藻にしみこんだ塩である。だから「藻に寄する恋」という題でも「もしほ」と詠んでいい。定家は「揉塩の枕」と詠んでいる。ただの塩は枕にはならない。
・須磨の浦藻塩の枕とふ螢かりねの夢ぢわぶと告げこせ 定家 拾遺愚草2227

  藻塩草を枕に寝ねば夢にみる螢とびかふ闇路にまよひ

『伊勢物語』十七段 昔男は、何年も、女のもとを訪ねてこなかった。けれど、桜の花の咲くころ、突然男は女のもとへやってきた。女は詠んだ。
・あだなりと名にこそ立てれ桜花年にまれなる人も待ちけり
男が返す。
・今日来ずは明日は雪とぞ降りなまし消えずはありとも花と見ましや
う~む、なるほど。

2024年3月2日(土)

朝から明るい。しかし冷えている。

  生ゴミはわが(はらわた)を潰したる如きとおもひ捨てかへりみず

  生ゴミのごときわれなり塵芥(ちりあくた)に混じりて捨場に端坐してをり

  今朝もまたゴミの袋を捨てにゆく腐臭はわれの臭ひなるかも

『論語』公冶長一四 子路のことである。子路は「聞くこと有りて、未だこれを行なうこと能はざれば、唯だ聞く有らんことを恐る。」子路賛という事だらうか。

  子路のよさは聞きたるに行へざればそを恐ること

『正徹物語』66
「夜の水鳥」の題に、この一首がある。
・夕づくよ水なき空のうす氷くだかぬ物と鳥や鳴くらん
水面に宿る月を氷に見立てることを正徹は良しと言っているようだ。注のいうとおり62の「夕づくよ」の例示だろう。

  夕づくよ水鳥の鳴く空にしてなにも見えねば音のみ聞こゆ

『伊勢物語』十六段 紀有常は、三代の帝に仕え、はぶりもよかったが、時が移り貧乏になった。妻は尼になり、姉のところへ去ってしまった。有常は、男に手紙を書いた。「かうかう、今はとてまかるを、なにごともいささかなることもえせで」と歎いて、最後に、次の歌を詠んだ。
・手を折りてあひ見しことをかぞふれば十といひつつ四つは経にけり
男はこれを見て、あわれに思った。衣装と夜具まで送ってよこした。そして、歌。
・年だにも十とて四つは経にけるをいくたび君を頼み来ぬらむ
有常はうれしさのあまり二首詠んだ。
・これやこのあまの羽衣むべしこそ君が御衣(みけし)とたてまつりけれ
・秋や来る露やまがふと思ふまであるは涙の降るにぞありける

2024年3月1日(金)

朝から明るい。晴れている。そして日中暖かい。今日から三月だ。

  カレンダー捲るに力の溢れくる三月一日もう春ならむ

  やさしきコットンブリーフにつつまれてわがふぐりにも春は訪ね来

  愛媛国から小さき蜜柑の箱が飛ぶ木霊(すだま)のごとし相模国へ

『論語』公冶長一三 子貢が言った。「先生の文章は、誰にでも聞くことができる。しかし先生が人の性と天の道理についていうことは、ふつうにはとても聞くことができない。」

  性と天道ふたつのことを語るとき聞くべかりけれ孔子の言を

『正徹物語』65 仏持院での歌会で、十五首の題で「春ノ風」「春ノ日」または「春ノ恋」「春ノ山」などを出し、さらに「秋ノ風」「秋ノ木」「秋ノ草」などを出す。人数少なくかつ十首、十五首を詠むときには、こうした題で詠む。「ちと詠みにくき題なり。」

  詠みにくき(ふた)文字(もじ)の題人数の少なきときに多くつくらむ

『伊勢物語』十五段 昔男が陸奥の国にいるとき、人妻のところに通っていた。人妻の夫は、何のとりえもなかった。こんな夫につかえるべき女ではないのに、と男は不思議に思って詠んだ。
・信夫山しのびて通ふ道もがな人の心の奥も見るべく
女はたいそう嬉しく思ったが、あたしのいなかくさい心の奥など。とへりくだって返事もださなかった。

2024年2月29日(木)

まあまあ晴れている。昨夜はほとんど眠れなかった。べレキシブル錠の副作用で腿に痒みがあった。たった二錠飲んだだけだが、前回の四錠並みの痒さだ。起きても、そう変わらない。

昨日、鶴見俊輔『ドグラ・マグラの世界 夢野久作 迷宮の世界』(講談社文芸文庫)を読む。以前、読んだはずだが、初読のような感じである。鶴見俊輔が、かくも夢野久作ファンとは、あらためて驚く。晩年の歌を二首。一首目は辞世らしい。
・われ死なば片見に残すものもなし白雲悠々山河遼々
・うみやまにたとへ此身は果つるとも草鞋のあとを世にや残さん
夢野久作らしい感じはある。

  皿、碗を洗浄籠から取り出して食器棚それぞれに(おさむ)る朝け

  皿の音かちゃかちゃ聴こゆまだ眠る妻を起こさずやそれのみ怖る

  まだ青き空には雲が薄く掃く今日の天気のやがて雨なり

『論語』公冶長一二 子貢がいう「私は、人が自分にしかけるのを好まない。だから私の方でも人にしかけないようにしたい。」そうすると孔子が「子貢よ、お前にできることではない。」

  なかなかに手厳しき孔子「(し)や、(なんじ)の及ぶ所に非ず

『正徹物語』64 「しかなかりそ」とは、「さなかりそ(そんなに刈るな)」の意である。「鹿な借りそ」と誤解する者がいたのか。とは注の言。

  「しかなかりそ」はそんなに刈るな草すべてを刈るな人麻呂の長歌

『伊勢物語』十四段 昔男、陸奥にたどりついた。京の男が珍しかったのか、女が恋心いだいた。
・なかなかに恋に死なずは桑子にぞなるべかりける玉の緒ばかり

あかぬけない歌だが、それこそあわれに思い、女のもとへゆき寝た。けれど夜中のうちに男は帰ってしまった。だから女はまた詠んだ。
・夜も明けばきつにはめなでくたかけのまだきに鳴きてせなをやりつる

すると男は京に帰ると言って、
・栗原のあねはの松の人ならば都のつとにいざと言はましを
女は、私のことを思っていてくれると喜んでいたそうだ。

2024年2月28日(水)

朝から天気よし。しかし昨日ほどではないが風あり。

  人生の晩年をいかに生くべきか悩みあり薬の副作用に悩み

  下半身に赤い発疹、微熱あり倦怠はかく言ふまでもあらず

  いまだこぬ飛燕をおもひ翻るそのすがた恋ふ春の鳥なり

『論語』公冶長十一 孔子が言った。「吾れいまだ剛者を見ず。」或る人が答えた。「申棖(孔子の門人。魯の人)ではありませんか。」孔子が答えた。「申棖には欲がある。どうして剛といえようか。」

  申棖(しんとう)を知らねど欲を捨てがたき人ならむ魯の人といふなり

『正徹物語』63 「なげの情け」は、ちょっとした情けである。「いざ今日は春の山辺にまじりなむ暮れなばなげの花のかげかは」(古今集・95・素性)の「暮れなばなげの花のかげかは」の「なげ」は「無げ」である。「暮れたればとて、なかるべき花か」といった意である。
なかなか細かいが、この時期『古今集』の歌が分かりにくくなっていたようだ。

『伊勢物語』十三段 昔男、京にいる女のもとへ、「聞こゆれば恥づかし。聞えねば苦し」と書いて、上書きに「武蔵鐙」と書いた。その後、男からの音信は絶えた。女は、
・武蔵鐙さすがにかけて頼むには問はぬもつらし問ふもうるさし

男は返信をみて、「たへがたき心地しける。」そこで次の歌をつくった。
・問へば言ふ問はねば恨む武蔵鐙かかるをりにや人は死ぬらむ

2024年2月27日(火)

いい感じに朝が明けてくる。橙色に群青色の空が浸潤されてゆく。そして日の出だが冷えているし、北風も強い。

一巻の絵巻のごとき人生を夢に観ずるに現実(うつつ)違へど

  神棚の榊に粒実ひそかなり春の精霊ただよふごとし

  たましひに紙やすり掛けて削るごと違和感ありきけさの体調

『論語』公冶長一〇 宰予、昼寝ぬ。孔子が言う。「くさった木には彫刻できない。ごみ土の垣根には上塗りできない。叱ってもしかたがない。」孔子がまた言った。「前に私は人に対するに、ことばを聞いてそれで行いまで信用した。今はことばを聞いて、さらに行いまで観察する。宰予のことで、こう改めたのだ。」

  だらしなき宰予のさまにことばのみか行ひを観る判断のために

『正徹物語』62 「夕づくよ小倉の山に鳴く鹿のこゑのうちにや秋はくるらむ(古今312貫之)」は昔から疑問とする歌だ。詞書(なが月のつごもりの日大堰にてよめる)から九月尽の歌であることがわかる。「夕づく夜」は四日、五日の頃。どうしてか。万葉集に色々ある。「夕月夜」は夕から月の出る頃をいう。また「夕付夜」は、月ではなく、ただ夕方から次第に暗くなり夜になる時間帯を「ゆふづくよ」という。古今集の歌もこれで、「夕付夜小倉の山」と詠んだのである。

  ひらがなに「ゆふづくよ」とあれば分かり難し「夕付夜」なり貫之の歌

『伊勢物語』十二段 昔男、人の娘を盗んで、武蔵野へつれてきて国の守につかまった。草むらに女を隠し逃げた。女は焼かれそうになって、こんな歌を詠んだ。
・武蔵野は今日はな焼きそ若草のつまもこもれりわれもこもれり
女も男もつかまった。

2024年2月26日(月)

二・二六事件から88年。いまも暴力の時代かもしれない。

朝晴れ。久しぶり。昨日まで雨だった。

  我が町に雨ふるときは遠き山の丹沢山塊雪になるらむ

  十六夜残りの月の山の上に明るきときは「後朝」思ふ

  「後朝(きぬぎぬ)」といふ美しき語をおもふ老いには恋も遠き思い出

『論語』公冶長九 孔子が、子貢に言った。「おまえと顔回では、どちらがすぐれているか」。子貢が答える。「顔回は、一を聞きて十を知る。私は二を知るだけだ。」孔子が言った。「及ばないね。わたしもお前といっしょで及ばない。」孔子にはユーモアもあるようだ。

  子貢に聞く汝と回といづれかまさるわれは到底回の下なり

『正徹物語』61 万時(万葉集時代考)という定家(本当は俊成)が考証した本がある。貴重だ。為秀自筆本を了俊がくれた。「人のほしがられし程に出だし侍りき。」淡々とした内容である。

  そつそつたる内容なればか簡単に了俊が(あ)にくれしものなり

『伊勢物語』十一段 昔男が、東国に旅立った。友たちへ便りをよこした。
・忘るなよほどは雲居になりぬとも空ゆく月のめぐりあふまで