2024年1月14日(日)

今日も朝は寒い。日中は暖かく日は差すが空気は冷たい。

  横断歩道ゆつくり越へてすぐ近くのスーパーへ行く冒険のごとく

  二車線の片側あゆむ老人に警笛鳴らし追越す自動車

  冬の日の遅れがちなる足弱も買物に出かける心ぶぎうぎ

『論語』八佾一八 孔子が言った、「君に事ふるに礼を尽くせば、人以て諂へりと為す。」
孔子ともあろうものが、そんなもの放っておけばよいのに。こうした人に気を遣うのも孔子だということだろうか。

  君に礼を尽くせばそれを諂ひと後ろ指さす人また居りき

『正徹物語』18 「暮山ノ雪」の題は、このところの作歌では「これぞ詠み侍る」一首である。
・渡りかね雲も夕べをなほたどる跡なき雪の峯の梯
正徹の自讃である。この歌、行雲廻雪の体であり、「なにとなくおもしろくえんなる物なり。」そして「いひのこしたるやうな歌はよきなり」だそうだ。なかなか得意げである。

渡りかね夕べにたどる雲の色架け橋立ててゆくべきところ

2024年1月13日(土)

よく晴れている。このところ冬の麦茶を薬缶に沸かしている。

  茶碗にはほのぼの湯気の立ちのぼる冬の麦茶の芳しきもの

  冬の麦茶かんばしくして沸かしたり薬缶が踊る、叫ぶミネラル

  麦茶喫ししばしを過ごすなにげなさこの無為こそが至福のときなり

『王朝秀歌選』(岩波文庫)をざっと読む。藤原公任選「前十五番歌合」、「後十五番歌合」、「三十六人撰」、藤原俊成「俊成三十六人歌合」、隠岐に流された後鳥羽院の意思を汲んで藤原定家の撰になる「八代集秀逸」、後鳥羽院撰「時代不動歌合」、定家撰「百人秀歌」、「百人一首」が入っている。歌は重なりつつもなかなか興味深い。万葉時代の歌がよいと思うのは偏見であろうか。
『論語』八佾一七 子貢が告朔の礼にその生贄の羊を辞めようとした。そこで孔子は言った。私はその礼が惜しい。羊の生贄だけでも続ければまた礼の復活もあるだろう。子貢よ汝は羊を惜しむ我は而してその礼を惜しむ。」さすが孔子先生だ。

  生贄の羊を惜しむ子貢に向き孔子は礼を惜しむと言へり

『正徹物語』17 或所の歌会に為尹(ためまさ)が「契絶恋」という題に、次のような歌を出した。

かけてうき磯松がねのあだ浪はわが身にかへる袖のうらかぜ

出席者は負と判じたが、正徹のみ「『かけてうき』といえるこそ契りたるにて、『わが身にかへる』が作者の骨を折ったところだ。」「これをだに心えざらんは沙汰の限りにあらず」と言って難じた。それを聞いて了俊(為尹の後見、正徹の師)が「ありありて、落涙」「げにさにて侍り」と勝になった。その後、為尹にももてなされた。「臍にとほりてさかひにいたらざる人は、人の歌をみる事もかたきなり。」なるほど、ですね。

  臍にとほりていたらざる人ほか人の歌読むことも叶はざりけり

2024年1月12日(金)

やはり朝は冷えている。日中は、昨日よりは暖かく。

  この夜をば夢にさめざめ冷たき雨すがた濡れたり馬上のわれは

  馬上にて鞍馬天狗の姿(なり)をして京の寺町駆けぬけてゆく

  鐘の音間近に聞こゆ鞭ふれど馬は(なみ)(あし)耳傾ける

『論語』八佾一六 孔子が言った。弓の礼では的を第一とはしない。能力に違いがあるからで、それが「古への道なり。」

  古への道とは申す射は皮を主とせずそれぞれに学ぶがよろし

『正徹物語』16 山名大蔵大輔之朝の宿所で、月輪基賢卿と会合して、「後朝の恋」の題で、次のように詠んだとか。

契れけさ逢ふもおもひのほかなればまた行末も命ならずや

  後朝(きぬぎぬ)の別れゆくとも思ひ残るかく行末もいのちならずや

2024年1月11日(木)

今日は午前中曇りだそうだ。3時くらいから晴れるらしい。妻が出かける時まだ暗かった。

  曇り空は寒げに明くるだんだんに周囲(めぐり)あかるく木々も目覚むる

  『テロルの昭和史』を読む殺伐としたる時代はかくも無惨

  昭和初期のテロルの時代暴力のかくうつくしき時代のありや

保坂正康『テロルの時代』(講談社現代新書)を読む。なんといってもテロは殺人、未遂であろうとも暴力には変わりない。暴力で時代を変えようとすることの過ちは、明治以降のテロルと戦争の実態を考えれば明らかである。それを繰り返さないことだが重要だ。しかし安倍、岸田各首相を狙ったテロ、あるいは世界にひろがる戦乱を観ていれば、暴力の肯定が私たちの心の中に潜んでいるのかもしれないとも思わせる。この本には神兵隊事件を取り上げたページもあって、やはり保坂さんだと思う。

『論語』八佾一五 孔子は大廟(周公の廟)の中で儀礼を一つ一つたずねた。ある人が「鄹の役人の子どもが礼を知っていると誰が言ったのだろう、大廟の中で、事ごとに問うている」。孔子はそれを聞くと「是れ礼なり」と言った。やっぱり孔子は礼なんだね。

  周公の廟にて礼を問ひしこと子どもの嗜み是れ礼といふ

『正徹物語』15 これは正徹の体験談だろう。内藤四郎左衛門の会に「衣ニ寄スル恋」という題に次のような歌が出された。

契りつつ送りし程の年をへば今夜は中の衣ならまし

しかし皆理解できない。これは源氏物語でしょうかなどという。正徹は、これは「ただ人と添い寝をする時に「夜の衣」とも「中の衣」ともいう。斬新な感じを出そうとして、以前に契りを交した時から何年もたって、今夜やっと逢った。次に逢うまでに同じくらいの時があるならば、今日は「中の衣」ということになると喝破した。これくらいのことさえ理解できないこの頃である。「あさましき事なり。」へいへい、なるほどですね。

  「中の衣」をいかやうに読むかに答へたる正徹なかなか手厳しきなり

2024年1月10日(水)

朝は寒い。日中暖かくなる。リハビリだから金魚の絵を描く。

  (なま)(ごみ)の袋を閉づるわが背中(せな)のまるくなる老いは妖怪のたぐひ

  三日間のわが家の芥をぶら提げてふらふら歩む集積場まで

  どことなく湿っぽくしてほの暗きゴミ集積場居心地悪しき

『論語』八佾一四 孔子が言った。「周は二代に監みて郁郁乎として文なるかな(周の文化は、夏と殷との二代を参考にして、いかにもはなやかに立派だね)。「吾れは周に従はん。」孔子にとって周が理想の国というわけか。

  周の文化、夏と殷とを考えて郁郁乎(いくいくこ)として周に従ふ

『正徹物語』14 定家の代表歌「春の夜の夢の浮橋とだえして嶺に別るるよこ雲の空」は、春の夜のはかない夢がふと覚めて外を見やると、朝になり横雲が峰から離れていく時分であった、というものである。見たままを上手に表現した。それに「夢の浮橋とだえして嶺にわかるる」という二、三、四句が巧みに続いて面白い。なるほど。これ以上言うこともない。たしかに上手い歌だ。というわけで今日は歌も作らない。

2024年1月9日(火)

朝は、相変わらず寒い。日中は暖かくなるが、空気が冷たい。

  もの喰へば水洟下垂る老耄なりティシュ幾枚も手に握りをり

  後朝の空には細き月明かり宵の明星とともにあかるき

昨日は成人の日であった。

  あやまちを怖れるな若きともどちよ過ちを恥づるな乗りこえてゆけ

『論語』八佾一三 王孫賈(衛の霊公に仕えた大夫で実権者)が「『部屋の神のきげんとりより、かまどの伊分に神のきげんをとれ。』という諺は、どういうことか」と尋ねた。孔子が答え、「衛の主君よりも、権臣である自分のきげんを取れという謎かけととって、「まちがっている。天に対して罪を犯したなら、どこにも祈りようはない」と自分に媚びよという王孫賈の謎をはねつけた。

  孔子の真骨頂か権力をはねのけて言ふ正しきことば

『正徹物語』13 和歌の上句・下句の頭字が同じであるのを平頭病と呼ぶが、近年は気にしない。上句・下句の末字に同字が重なる声韻病は避ける。物名歌でなければ、それを嫌う。

  意識することはなけれど平頭病、声韻病とて(かしら)(じ)かんがふ

2024年1月8日(月)

今日は成人の日らしい。まあ、がんばれ。だれもかれも生きていてほしい。
昨夜から大河ドラマ「光る君」がはじまった。先日にも書いたが、その予習として『紫式部ひとり語り』を読んだ。ちょうどドラマがはじまる前に読み終わった。『紫式部日記』を中心に『御堂関白記』『小右記』『権記』などを使って、紫式部のもの思いを叙したもので、面白かった。色々あるが、最後に紫式部の和歌を引いて、「そう、この身が消えるまで、それでも私は生き続ける」と言わせる。ここは、なるほどよかった。歌を引いておこう。
・いづくとも身をやる方の知らざれば憂しと見つつも永らふるかな
ドラマの方もまあまあかな。主人公の子役が可愛い。

  (かな)(がひ)に七草もどきの粥を食ふ老いはふはふ熱きを吹きて

  さねさし歌日録の三年分二八五ページよく書き溜めし

  災害と事故と戦乱のニュースばかりこの世はかくも渾沌として

『論語』八佾一二 先祖の祭には先祖がいるように、神々の祭には神々がいるようにする。孔子が言う。「吾れ祭に与らざれば、祭らざるが如し。」自分がいないと祭そのものがないというのは、どうなのかと思われるが。

  祭に与らざれば祭なし孔子の言のさてかくあるか

『正徹物語』12 飛鳥井家の先祖の雅経は定家の門弟であったので、飛鳥井家の歴代みな二条家の門弟扱いである。内裏仙洞の歌会で、懐紙を三行五字に書くことのみが、他家との違いでその他は二条家と同じである。

  かにかくに二条家の門弟の扱いを受けしが懐紙に書くときは違ふ