2024年1月7日(日)

七草の節。朝は暗く寒いが、日中は日が出て暖かである。週数回のリハビリで少しはよくなっているものの、悪性リンパ腫の三回目となると治療法が限られてなかなか寛解とはいかぬようだ。さて、今夜から大河ドラマは紫式部である。せっせと『紫式部ひとり語り』(山本淳子)などを読んでいる。

  わがままなる癌細胞が小脳に居坐ればままならぬことば、歩みも

  三度目の悪性リンパ腫これまででもっとも重き小脳を侵す

  みづからが書き記すメモ読み難く判読不可能なる文字(もんじ)も雑ざる

『論語』八佾一〇をとばしてしまったので一〇を。孔子が言った。「てい」の祭で、(黒きびの香り酒を地に注ぐ)灌の儀式が済んでからあとは、わたしは見たいとは思わない。当時の魯では、位牌などの序列が乱れていたらしい。

  黒黍の酒、地にそそぐ(まつり)終へそれより後は観るを欲せず

『正徹物語』11 『新拾遺和歌集』は、(ため)(あきら)が編纂に当たったのだが、完成を見ず死去された。そのため雑歌か恋歌の部から頓阿が撰をした。頓阿の流れには記録や文書がたしかに伝わっているはずだが。

  『新拾遺和歌集』の撰者(ため)(あきら)死し頓阿に変はる証拠あるべし

2024年1月6日(土)

天気はよい。朝、生ごみを捨てにゆく。正月のゴミは沢山ある。

  死んでもいいと思ひてゐしはわれのみか親しきひとの顔がとりまく

  中有(ちゆうう)をさまよふもののけおそらくは(おの)がこころの鬼が化したる

アーナルデュル・インドリダソン『印(サイン)』

  死の後の世界があると信じたる『失われた時を求めて』床に落ちたり

『論語』八佾一一 孔子が言う。(「てい」示す編に帝の旁。この字が出てこないので、「てい」のままにする。)ある人が「てい」の祭りの意義を尋ねた。孔子は、「不知なり。」その意義がわかっているほどの人なら、天下のことについても、そら、ここで見るようなものだろうね」と「其の掌を指」したという。掌を指すというのは、なんとも格好いいね。

  てのひらを指して物言ふ孔子の(げん)かつこうよしとわれは思へり

『正徹物語』10 飛鳥井家の先祖の雅経は、新古今の五人の選者に入ったが、その頃、全くの若輩で、「家には記録などもあるまじきなり。」

  雅経は五人の選者に加はれど記録や文書残すことなし

2024年1月5日(金)

まあまあの日だ。昼間は冬の長い日差しがある。
中野孝次『本阿弥行状記』を読む。江戸初期、京の鷹ヶ峰に活動した光悦とその一族の清貧の姿を活写した光甫の「行状記」を筆記した娘が語るという小説である。本阿弥光悦を好むものとしては嬉しい小説である。

  西風に煽られて動くわがからだ老いなれば痩せ貧弱きはまる

  強風はわれらをなぶる木をなぶる枯れ枝なぶる川までの径

  天上に大風あれば雲もなしこの青天の心地よきかな

*昨日の強風を
『論語』八佾九 孔子の言だ。夏の国の礼については話すことができる。しかしその子孫である杞では証拠が足りない。殷の礼については語ることができるが、その子孫の宋の礼は証拠が足りない。文献が足りないからだが、足りればこれを証拠に私も語るだろう。

  文献の足らざればその国の礼語れず足らばすなはちよく語らむか

『正徹物語』9 万葉集の注釈書についてである。万葉集の講釈を大教院慈澄僧正のもとで拝聴したが、その聞書きを今熊野の庵で焼いてしまった。仙覚の著、万葉集註釈と新註釈があり、由阿の詞林采葉がある。新注釈が万葉集を読む時に役立つ。

  万葉集を読む時たいさう役に立つ仙覚あらはす新注釈を

2024年1月4日(木)

三が日が終った。夏生んとこも沙耶んとこも二日、三日に来て賑やかであった。箱根駅伝では國學院大學は五位、一、二年生が活躍した。来年が楽しみだ。
今日は、日の出の時間雲が厚かった。やがて太陽が出るて暖かくなる。

  この世のことおほかた忘れ土中より這ひだしてくる蟾蜍(ひき)のごとくに

  われもまた冬眠をする生き物かしづかにしづかに時過ごしけり

  朝に三錠薬を服しこの世から去り難くゐる老い人われが

『論語』八佾八 なんだか面白い章段だ。子夏が「巧笑(せん)たり、美目(はん)たり、素以て絢を為す」(『詩経』)とは、どういう意味かと問うた。孔子が答えた。絵の事は素を後にする。子夏が言う。「ということは礼は後か」。そうすると「子夏(商)よ始めて与に詩を語るべき。」子夏が『詩経』への目を開いたということか。

  わが詩魂を啓発するは子夏ならむともに語らむ『詩経』のあれこれ

『正徹物語』8 各季節最初の題が当たると詠むのを遠慮する人がいるが、それはあってはならない。配慮が必要なのは立春だけだ。百首歌の巻頭は、その場の最も身分の高いものに譲るべきだが、「ただ季の廿首、卅首の題をさぐる時は、誰も詠むべきなり。」まあ、歌会の心得のような章段かな。

  歌会の季節の題は遠慮するな誰しもが受けねばならぬ役なり

2024年1月3日(水)

昨夜、雨が降っていたようで、地面が濡れている。

  不可知、不可触のもののけの一つかわれもしわくちゃやの老い

  めでたきか能登の地震に航空機接触二日つづけて災害起こる

  蟾蜍の冬眠を思ふ土のなかに夢みてゐるか溟き乾坤

『論語』八佾七 君子は争わない。争うとしたら弓争いであろうが、揖譲して升り下りして、そうして飲ませる。「其の争いは君子」である。

  君子は争はぬものしかるにも弓を争ふのちに酒汲む

『正徹物語』7 人麻呂の木造は石見国と大和国にある。石見の高津にそれはあり、人麻呂はここに棲み、ここに死んでいる。あれこれ書いてあるが、こういうことだろう。人麻呂は、和歌の滅亡せんとする時、必ずこの世に復活し和歌の道を再興することになっている。神として出現したことも度々に及ぶ。

  人麻呂はこの世に神のごとくして幾度もあらはる復活の神

2024年1月2日(火)

今日は曇りだ。昨日の夕べの能登大地震は怖ろしいものであった。すでに石川県で死者五名の報告がある。

  能登の地を高き波濤の襲ふときこの地も揺るる震度三なり

  能登の家群に土煙あがる地の揺れの映像に怖るる曾遊の土地

  睦月一日午後四時過ぎに幾たびも激しく地を揺する大地震(なゐ)ありき

『論語』八佾六 李氏が泰山で旅の祭りをしようとした。李は陪臣でそれを犯した。そこで孔子は冉有(孔子の門人。孔子より29歳若い。当時李氏の執事であった。)に「お前はやめさせるできないのか」というと「できません」と答えたので、「ああ泰山が林放にも及ばないと思っているのか」と咎めた。

  泰山を軽くみなすと碌なことにならざるものよ李氏さけるべし

『正徹物語』6 伏見院の手紙の筆跡は枯木のようで美しくはない。筆を整えずに書くので、人の真似るようなものではない。 伏見院御消息こそは枯木のやう真似るべきにあらず美しくなく

2024年1月1日(月)

元日 初日も見た。よき日である。午後、能登で大きな地震がある。海老名も震度三である。驚いた。新年早々地震、津波だ。

  千両、万両の珠実のあまた赤き色いのりのごとくこの世ことほげ

  めでたき正月の朝にやうやうに雲古ひねり出す縁起よきかな

  若水は浄水にして、奥能登の真塩に、山形つや姫供ふ

  能登(のとの)(くに)を襲ふ地震に津波被害ああこの国の崩壊またも

『論語』八佾五 孔子が言った。夷狄に君主のあるのは、中国で君主のいないのにも及ばない。」
中国の文化の伝統はやはりすぐれている、ということだ。

  夷狄の君主、中国の君主に及ばざる断定したるは孔子なるゆゑ

『正徹物語』5 冷泉為相は安嘉門院四条の子である。彼女は安嘉門院へ参仕したのでこう呼ぶ。為守も同じ腹である。この安嘉門院四条を出家の後は、阿仏と称した。為守は教月某として浄土宗に帰依していた。

  冷泉為相の母は阿仏尼なり弟為守は浄土宗に帰依す