午前中、食品の買物に妻の運転でいくつかの店を回ったのち、午後は冷房をかけた部屋にこもる。猛暑なのだ。
赤き葉と濃きみどり葉を写したる色鉛筆画まあまあの出来
干し終へて塩ふく梅をしやぶりしやぶり熱中症を怖れあゆめり

午前中、食品の買物に妻の運転でいくつかの店を回ったのち、午後は冷房をかけた部屋にこもる。猛暑なのだ。
赤き葉と濃きみどり葉を写したる色鉛筆画まあまあの出来
干し終へて塩ふく梅をしやぶりしやぶり熱中症を怖れあゆめり

今日も猛暑である。一昨日、昨日と植木屋が入り、マンションの木々はさっぱりした。刈り込みすぎではないかとも思われるが、これも例年のことだ。暑さのせいもあって、ここのところ睡眠状態が悪い。朝には忘れてしまうが、妙な夢をみているようだ。先日は魘されていたと妻に起こされた。
夜のトイレに刻む時計の音あれば吾の肉体も刻まれゆくか
あたらしき榊をかざり老い母はかるく頭を垂れたまひたり

猛暑、午前中すでに36℃。おいおい。梅干し(4日目)完成。今年は60個。少ない。少し干しすぎたかもしれない。午後5時、まだ33℃ある。
ルシア・ベルリン、これまた凄い作家だ。文庫本になっている『掃除婦のための手引書』(岸本佐知子訳)を読んだ。24の短編。数ページの短いものもあるが、全編それこそ人間の存在の重みを伝えて、喜怒哀楽、悲喜こもごもに展開するドラマ。そして卓抜な比喩の数々に圧倒されて、ひどく愉しい読書タイムであった。すでに亡くなった人(1936~2004)であることにも驚いた。「わたしたちは愛し合った。ありとあらゆる怒りと悲しみと優しさが、互いの体を電気みたいにかけめぐった。けっして口に出されることのない、それら。」(「ソー・ロング」)どうですか、この表現。二冊目の作品集『すべての月、すべての年』も出たが、年金生活者としては単行本はつらい。文庫化を待つことにする。
人生には辛さも苦しさもあかるさもこもごもにあるそれこそ人の世
文庫本の帯には奇跡の作家とある知らざりしことをいささか悔やむ
横柄なるしはがれごゑに啼くからす今朝も電柱のてつぺんに鳴く
これもルシア・ベルリンの使った比喩の援用です。

今日も猛暑。36℃。梅を干す(3日目)。今朝も蚯蚓がたくさん干乾びている。
この暑さに連日みみず干乾ぶる梅漬けも乾ぶ塩梅よきか
けさもまたみみずをちこちに討ち死にすどれだけ死んでもみみず滅びず
連日の猛暑にわれも乾ぶなりみみずのごとくに討ち死にはせず
水無月の祓への日とはおもへども罪汚れこれもわが為せしもの

須坂に行っていた妻が62歳になって戻ってくる。今日もまた猛烈な暑さだ。梅を干す(2日目)。
マンションの庭は蚯蚓の干乾びた死骸だらけだ。
今朝もまたみみず乾びて死ににけりぬたうちまはるか曲がりくねりて
完全に乾くでもなく肉色のじくじくしたる尸もあり
海老名のモンベルでポーチの二代目を購入。一代目は何年か前の角川書店の新年の歌人・俳人の会に行ったときに買ったものだ。7,8年前のことだろうか。
ダークネイビーのポーチを贖ひたのしきか京都への旅がすこし近づく

須坂の妻の母が亡くなって明日で一年。今夜、妻は須坂に向かう。正式な法要は7月17日、その時には私も須坂へ行く予定だ。
今日も35℃近くなるらしい。朝から暑い。午後36℃超。梅を干す(1日目)。
木立ちより朝のひかりのスペースへ若きひよどり飛翔する見ゆ
ものの腐る臭ひ充満くる夏到り蠅、コバヘ、蚯蚓親しき仲間

今日も朝から暑い。35℃になるという。そして突然の梅雨明けだ。梅雨の時期の雨が少なかったようだが、稲の成長に影響はないのだろうか。
宗像和重編『鷗外追想』読了。鷗外没後百年を記念して編集された鷗外の玉手箱のような文庫本である。同時代人の55編の回想はたいそう面白いものばかりであった。鷗外が毎夜数時間しか眠らなかったこと、食事がまた質素なものであったことなど興味深いエピソードが紹介される。与謝野晶子の挽歌から一首。
煙とは聞けどそれすら目に見えずめでたき君のあはれいやはて
鷗外の逝去は1922(大正11)年7月9日、60歳であった。漱石は49歳で亡くなったが、いずれも早い。私など66になるが、何一つ残せるものはない。鷗外の法号はなんだかたいそうな貞献院殿文穆思斉大居士、現在三鷹の禅林寺にある墓標には遺言により「森林太郎墓」とのみ中村不折の字で刻まれている。55編のなかでは子どもの類と茉莉のものがよかった。
森鷗外、多彩なる才を示したるスーパー文士惜しまれて死す
ベランダに赤、黄、みどりのTシャツが並んで激しく踊りはじめる
