5月26日(火)

ほぼ晴れのようですが、今(午前九時)には曇ってます。

  初夏(はつなつ)の日差しの強さ、容赦なし。登大路を足弱が行く

  山の木の半分白き山法師。青丹よし奈良の山の彩り

  吉野より奈良に(お)りたつ蔵王権現。姿たくましき一本立ちなり

『孟子』告子章句上155 (こう)都子(とし)問うて曰く、「(ひと)しく是れ人なり。或ひは大人(たいじん)と為り、或ひは小人(しせうじん)と為るは、何ぞや」と。孟子曰く、「其の大体に従へば大人と為り、其の小体に従へば小人と為る」と。曰く、「鈞しく是れ人なり。或ひは其の大体に従ひ、或ひは其の小体に従ふは、何ぞや」と。曰く、「耳目(じもく)の官は、思はずして物に蔽はる。物、物に(まじ)はれば、則ち之を引くのみ。心の官は則ち思ふ。思へば則ち之を得るも、思はざれば則ち得ざるなり。此れ天の我に与ふる所の者、先づ其の大なる者を立つれば、則ち其の小なる者奪ふこと能ずはざるなり。此れ大人為るのみ」と。

  大なれば小なる耳目にまどはされず大なる心奪ふことできず

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

海にをかしき歌枕 磯辺の松原(きん)を弾き 調(しら)めつつ 沖の波は磯に来て鼓を打てば (みさ)(ご)浜千鳥舞ひ(こだ)れて遊ぶなり  (四句神歌・雑・四〇〇)

【現代語訳】海に関する面白い和歌の材料といえば、磯辺の松は琴を弾き、美しい音楽を奏でている。沖の波は磯に寄せて鼓を打っているので、雎鳩や浜千鳥もしなだれるようにして舞い遊んでいるよ。

【評】海辺の自然が歌舞奏楽にいそしんでいるとする聞きなし、見立ての歌。

「歌枕」は、現代語においては、古来多く歌に詠まれた名所を指すが、古くは地名に限らず、和歌に詠まれる素材を広く言った。

「琴」は七絃の琴で、日本へは奈良時代に中国から伝来し、『うつほ物語』や『枕草子』『源氏物語』などにもしばしば描かれているが、次第に衰微し、平安時代末期にはほとんど廃れてしまった(三七九)。しかし文芸表現の上では、漢詩文の影響によって、風に吹かれて松のたてる音は琴の音と類似していると捉えられ、楽器としての琴が廃れた後も、松風に琴の音の響き合いは表現され続けた。松と琴の組み合わせは、当該今様が「歌枕」としてあげるにふさわしい事項と言ってよい。ただし、伝統的な和歌の世界では、琴の音が松風に「通ふ」「響き合ふ」といった表現にとどまっており、松が琴を「弾く」「調ぶ」とする当該今様は、松の積極的な擬人化という点で、今様としての新しさを持っていたと考えられる。続く、波が鼓を打つという発想は、和歌にはほとんど見ることができない。そもそも和歌に「鼓」が詠まれること自体、あまりないことである。

「雎鳩」は海浜に生息する猛禽で、急降下しては魚をとらえる。「浜千鳥」は浜辺にいるチドリ科の鳥の総称。日本の海辺(干潟)で多く見られるのは、シロチドリやメダイチドリ、ダイゼンなどである。両者とも海辺の鳥として和歌に多く詠まれる素材である。しかし、雎鳩は「雎鳩居る」という形で荒磯に属するものとして、固定したほとんど動きのない姿で詠まれ、また千鳥の方は姿よりもその鳴き声を詠まれる場合が多いことを考慮に入れると、雎鳩や浜千鳥の飛翔するさまを「舞ひ傾れて遊ぶ」とする表現は新鮮である。後世、芭蕉の著名な一句「古池や蛙飛びこむ水の音」は、伝統和歌でもっぱら扱われる「鳴く蛙」の声ではなく、伝統にない「飛ぶ蛙」の水音をとらえたところに俳諧美の発見があると評されるが、当該今様にも同様の俳諧性が認められよう。

「傾る」とは、倒れかかる、しなだれるという意味で、和歌の中で使われた例は見出だせない。「舞ひ傾る」のほか「折れ傾る」「笑み傾る」のような複合語を作る。例をあげると次の通りである。

「まして宗教が舞はざらめやは、舞はざらめやは」とて折れ傾れ、身をなきになして舞ひたりし  (弁内侍日記)
(「まして宗教が舞わないことがあろうか、舞わないことがあろうか」と言って、体を折り曲げ、骨がないように身をくねくねさせて舞った)

「うれしや水、鳴るは滝の水」と歌ひて、折れ傾れ、一時ばかりに舞ひたりける。(『源平盛衰記』巻二・額打論)
(「うれしや滝の水、鳴るは滝の水」と歌って、体を折り曲げ、折り曲げ、一時ほど舞を舞った)

横座の鬼、盃を左の手に持ちて、笑み傾れたるさま、ただ、この世の人のごとし。(『宇治拾遺物語』三話)
(正面の座の鬼が盃を左の手に持って、<瘤のある老人の舞を見て>わらいころげているさまは、全く人間のようであった)

これらの例によると「傾る」という言葉は、宴における歌舞またはその鑑賞の描写に用いられるなど、芸能と関わりの深いところで使われていて興味深い。当該今様の結句で鶏の飛翔のさまを「舞ひ傾れて遊ぶ」と擬人化した表現には、芸能の場の興奮が生き生きと映し出されていると言えよう。

以上のように、「歌枕」を標題に掲げながら、当該今様の内容は、実際の和歌表現と微妙なずれを見せている。当該今様は、積極的な擬人化によって、自然がダイナミックに歌舞奏楽をなすさまを表現しており、壮大なファンタジーの世界を垣間見せてくれる。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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