今日も晴天。
外に出て若きつばめを追ふ遊び。老いたればただ視てゐるばかり
いづこにか巢を造るらし。その巢より餌求めるかたちまち高く
羽虫とか蚊のたぐひとかを餌にして空中乱舞たのしきろかも
『孟子』告子章句上145-2 孟子曰く、「『叔父を敬せんか。弟を敬せんか』ととへ。彼将に曰はんとす、『叔父を敬す』と。曰へ『弟尸為らば、則ち誰をか敬せん』と。彼将に曰はんとす、『弟を敬す』と。子曰へ、『悪にか在る其の叔父を敬するや』と。彼将に曰はんとす、『位に在るの故なり』と。子亦曰へ、『位に在るの故ならば、庸の敬は兄に在り、斯須の敬は郷人の在り』と」季子之を聞きて曰く、「叔父を敬すべければ則ち敬し、弟を敬すべければ則ち敬す。果して外に在り。内由りするに非ざるなり」と。公都子曰く、「冬日は則ち湯を飲み、夏日は則ち水を飲む。然らば則ち飲食も亦外に在るか」と。
飲食も外にあつて内からの要求でないとすればいままでの論と矛盾せぬか
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
池の澄めばこそ 空なる月かげも宿るらめ 沖よりこなみの立ち来て打てばこそ 岸も後妻打たんとて崩るらめ (四句神歌・雑・三七八)
【現代語訳】池の水が澄んでるからこそ、空にある月も水面に宿るのであろう。沖から小波(前妻)が立ってきて岸を打つからこそ、岸も後妻を打とうというので崩れるのであろう。
【評】後妻打ちを歌い込んだ洒落の一首。後妻打ちとは、前妻が後妻に乱暴を働くことで、記録上早い例として、『御堂関白記』寛弘九年(一〇一二)二月二五日条に「輔親の宅家に雑人多く至りて濫行を成すと云々……是蔵云女方宇波成打と云々」と見える。承平年間(九三一~九三八)に成立した辞書『和名類聚抄』に「後妻」の訓として「宇。波奈利」が見えるから、後妻の家に前妻(蔵という何の女房)側の人々が押し寄せて乱暴を働いたことがわかる。後白河院の今様の弟子である平康頼が編んだ説話集『宝物集』巻二には、天皇の后の嫉妬について語った後、「まして、あやしの下衆ども、うはなりうちとかやして、髪かなぐり、取り組みなどするは、ことはりにぞ侍るべし」(まして、身分の低い女性たちが、後妻打ちとかいうことをして、髪をひきむしったり、争って取っ組み合ったりするのは当然のことでありましょう)と述べており、「後妻打ち」と称して後妻の身体に危害を加えることが見て取れる。
「こなみ」は「小波」に「前妻」を掛けている。『和名類聚抄』には「前妻」の例として「古奈美」が見える。古く、『古事記』歌謡に「古奈美が 肴乞はさば 立ち柧棱の実の無けくを こきし削ゑね 宇波那理が 肴乞はば 厳榊 実の多けくを こきだ削ゑね」(前妻がおかずを欲しがったら、柧棱の実の少ないところをたくさんそぎ散ってやれ。後妻がおかずを欲しがったら、巌榊の実の多いところをたくさんそぎ取ってやれ)と見え、「こなみ」と「うはなり」が対になって歌われている。
当該今様は、前半で澄んだ池に月が映ることを歌い、静かで清らかな風景を描き出しているのに対し、後半では騒がしく荒々しい情景に転じている。八幡宮の縁起や霊験譚を記した鎌倉時代の『八幡宮巡拝記』に、説法の言葉として「仏ノ具シ給ヘル至誠心ヲ思ヘハ、行者ノ心ノ中ニカヨフ也。池水スメハ空ノ月ノカヨフ也」とあることを参照すれば、前半と後半で、悟りの境地と嫉妬心という煩悩の苦しみとを対置しているとも見られる。こうした対比と言語遊戯で巧みに織りなされた一首と言えよう。