6月20日(土)

雨、雨、時々止むが雨。

  雲多きひむがしの空その果てに朧日みゆるすこしよろこぶ

  なぜだろうか太陽の影うっすらと見えればよろこぶわれがゐるなり

  すでにすでにみみず夜に出てひからぶるあああはれなりその半乾き

『孟子』告子章句下171 白圭曰く、「(たん)の水を治むるや、禹より(まさ)れり」と。孟子曰く、「子(あやま)てり。禹の水を治むるは、水の道なり。是の故に、禹は四海を以て(たに)(な)せり。今、吾子(ごし)隣国(りんこく)を以て壑と為す。水逆行する、之を(かう)(ずゐ)と謂ふ。洚水とは洪水なり。仁人(じんじん)(にく)む所なり。吾子過てり」と。

  洚水とは洪水なれば仁者もっともにくむ。驕つてはならぬ

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

吹く風に消息(せうそく)をだにつけばやと思へども よしなき野辺に落ちもこそすれ
                             (二句神歌・四五五)

【現代語訳】吹く風に恋しい人への手紙だけでもことづけたいと思うけれど、とんでもない野原におちてしまいそうだ。はてさて困ったことだ。

【評】恋心を伝えるすべのないことを嘆く歌。「消息」は手紙の意。なだらかで優美な、洗練された調べが感じられる。芸術至上主義的な感覚を持つ抒情詩人と言われる佐藤春夫に、当該今様に触発された詩があることもうなずけよう。

    かくまでふかき恋慕とは

    わが身ながらに知らざりき

    日をふるままにいやまさる

    みれんを何にかよはせむ

    空ふく風につてばやと

    ふみ書きみれどかひなしや

    むかしのうたをさながらに

    よしなき野べにおつるとぞ    (佐藤春夫『殉情詩集』大正一〇年刊)

この詩の中の「むかしのうた」は、明らかに当該今様を指している(ただし「つけばや」を「つてばや」と誤って引用している)。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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