まあ重たい曇です。
蒸し暑き日なれば早くに冷房を入れれば外界の様子わからず
ベランダの窓開けっぱなして湿気ある外気を入れてやすらぐわたし
安らぎはクーラーの冷気あるいは外気どちらが涼しいか試すときあり
『孟子』尽心章句上180 孟子曰く、「万物皆我に備はる。身に反して誠なれば、楽しみ焉より大なるは莫し。強恕して行ふ、仁を求むること焉より近きは莫し」
万物の道理はみな自分の本性に備わっているはずなり
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
御前より打ち上げ打ち下ろし越す波は つかさまさりの重波ぞ立つ (二句神歌・四七七)
【現代語訳】神社の御前から寄せたり引いたりしながら岸を越える波は、官位昇進を知らせて次から次へと波立つことだよ。
【評】官位昇進をめぐる祝いの歌。「つかさまさり」は官位が昇進すること、「重波」は次々に打ち寄せる波。立身出世の願いを込めて歌う場合もあれば、昇進の結果を受け、それを祝って歌う場合もあっただろう。『枕草子』「内は五節のころこそ」の段には、当該今様またはその類歌と思われる一節が引かれている。五節(陰暦一一月の中の卯の日に天皇がその年の新穀を神々に供え、自身も食する新嘗祭の際に、五節舞姫による舞楽を中心として行われる公式行事)の酒宴の後、酔って、着物も乱れた殿上人たちの様子を描写する箇所である。
殿上人の直衣ぬぎたれて、扇やなにやと拍子にして、「つかさまさりと重波ぞ立つ」といふ歌をうたひ、局どもの前渡る……
『梁塵秘抄』には、
南宮の御前に朝日さし 児の御前に夕日さし 松原如来の御前には つかさまさりの重波ぞ立つ(四一六)
(広田社の南宮のお社には朝日がさし、児のお社には夕日がさし、松原如来のお社には官位昇進の波が次から次へと打ち寄せるよ)
という一首があり、四七七番歌と同様、「つかさまさりの重波ぞ立つ」の句で結ばれる。四七七番歌は神社が特定されておらず、より汎用性のある歌と言えよう。