昨日の台風6号が去って、曇りだそうだ。台風一過を期待したが……
安底羅像、申年を守る神なれば殊更深く頭を下げる
新薬師寺の鎮守社ならむ鏡神社。藤原広嗣の霊魂祀る
十市皇女と市寸嶋比賣を祀る祠。因縁などなくもしばし祈れり
『孟子』告子章句下162-2 徐行して長者に後る。之を弟と謂ふ。疾行して長者に先だつ、之を不弟と謂ふ。夫れ徐行は、豈人の能はざる所ならんや。為さざる所なり。堯舜の道は、孝弟のみ。子、尭の服を服し、尭の言を誦し、尭の行ひを行はば、是れ堯のみ。子、桀の服を服し、桀の言を誦し、桀の行ひを行はば、是れ桀のみ」と。曰く、「交、雛君に見ゆることを得て、以て館を仮る可し。願はくは留まって業を門に受けん」と。曰く、「夫れ道は大路の若く然り。豈知り難からんや。人求めざるを病むのみ。子帰りて之を求めば、余師有らん」と。
ゆつくり歩き目上の人の後にしたがふ弟の徳といふべけんや
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
凄き山伏の好むものは 味気なき凍てたる山の芋 山葵粿米水雫 沢には根芹とか
(四句神歌・雑・四二七)
【現代語訳】恐ろしい山伏の好むものは、わびしいね、凍った山の芋なんてさ。山葵に粿米、水雫。沢には根芹とかいうことだよ。
【評】山伏の好むもの尽くし。「山伏」は山野をめぐって修行する者。「聖」と近い。「山伏」を形容する「凄し」の語は心に強烈な戦慄や感じさせる良いな様を表し、ここでは、ぞっとするほど恐ろしい、鬼気迫るような山伏の様子を言う。「粿米」は洗い清めた米。承平年間(九三一~九三八)に成立した『和名類聚抄』に「粿米」の和名として「加之與禰」が見え「淨米也」と見える。神仏に供えるためのものと見る説もあるが、「聖の好むもの」(四二五)に挙げられた茸や山菜が聖自身の食用だったことを考えると、「粿米」だけを神仏に供えるものとするのは躊躇される。なお新大系は「水雫」も神仏に供える閼伽水とするが、修行中にすくい飲む岩間の清水などを表現したものと解しておく。他に、原本「こしよね」を「こしろね(小白根)」と読んで野草のこととし、「水雫」も山菜野草の類であろうとする説もある。
わびしいものながらも、凍っているという状態によって清らかさを感じさせる「凍てたる山の芋」、清らかな水辺に生育する山葵や芹、洗った米、清水、と、氷や水の冷たく澄んだ様子が、山伏の修行生活の清貧ぶりを暗示して巧みである。