9月15日(火)

朝は雨だったが、曇りになる。

気がつけば全身包帯に巻かれたりエジプトのミイラのごとく動けず

口も鼻も耳も包まれ身動きできず人呼ぶことも不可能にして

ミイラのごとく叫べず動けず墓場にて棺の中に納められたり

    *

『孟子』尽心章句下253 孟子曰く、「人皆忍びざる所有り。之を其の忍ぶ所に達するは、仁なり。人皆為さざる所有り。之を其の為す所に達するは、義なり。人能く人を害せんと欲する無きの心をさば、仁げて用ふ可からざるなり。人能くする無きの心を充さば、義勝げて用ふ可からざるなり。人能くを受くる無きの実を充さば、往く所として義為らざるは無きなり。士未だ以て言ふ可からずして言ふ、是れ言ふを以て之をるなり。以て言ふ可くして言はざる、是れ言はざるを以て之をるなり。是れ皆の類なり」

言ふことにより気を引くまた言はぬことで気を引くいずれも盗人のごとし

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相馬御風編注『良寛和尚歌集』

わがやどは国上やまもとこひしくばたづねて来ませたどり〳〵に

【語義】「たどり〳〵に」は「たずねさがしたずねさがして」というほどの意。

【評言】これは晩年山を下って山麓乙子神社境内の草庵に入ってから友人にでも贈った歌であろう。「たどり〳〵に」の結句が一首全体に響いている。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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