朝、小雨がふっていたが、今は曇り。
蟻が歩く道路を歩くに小さき蟻、懸命な蟻を踏まないやうに
降りだせば蟻もあわてて巣に帰る働き蟻の雨除けるところ
巣を造る蟻の動きのせわしければ深きにもぐる働き蟻は
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日夏耿之介『唐山感情集』―唐・宋・元・明・清・民国
二十四女花品
小引 清 馮雲 鵬
西でフランスの解人グルモン氏が、むかしの花のリタニイを謳えば、東では、中華の『金石索』の考古詩人馮さんが、このような粋に砕けた花くらべをつくる。古文化の国にはこんな比較の私かなたのしみ事多く、それが単なる比べごとではない。精妙な一道の情趣の論理に繋がれているようにわたくしには解される。
水際立つたです
もとにり
水際立つてにもつたり
びはを占めてをしのばせ、
またあざ名がのこつて蘇娘ともまをす、
なんどのぞまないひとです。
蘭 逸女也
幽谷に生れ、
逸女群芳を圧す。
曾て佳名を占めて楚畹を懐い、
也小字を留め蘇娘と喚ぶ、
花王たるを願わず。
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相馬御風編注『良寛和尚歌集』
かきてたべつみさいてたべわりてたべさてその後は口もはなたず
くれなゐの七のたからをもろてもておしいたヾきぬ人のたまもの
【評言】これは新津の桂家から柘榴の実を七個贈られた返礼にとて詠んだ三首中の二首である。多少戯れの気分も交じっていようが、それにしても技巧の自由さは驚くべきものがある。殊に前の歌のごときはどうして食べてよいかわからぬまで喜んでいる様子が目に見えるようにうたわれている。そして後の歌で「おしいたヾきぬ人のたまもの」とはじめて気付いたように感謝の意を形を通して現わしているなどはうまいものである。良寛は実際柘榴の実がたまらなく好きであったらしい。私の蔵している彼の弟由之の歌稿の中にも国上山の庵に良寛を訪ねた折良寛の大好物だからとてわざわざ自分の家の初生りの柘榴を持って行ったが、折あしく和尚が不在であったので歌を添えてそれを近くの人家に託して帰ったというような事が書いてあったりするところから考えると、良寛のこの歌もあながち誇張や戯ればかりでもなさそうである。因みに由之が柘榴にそえて良寛に贈った歌の中の一首をここに録して置くことにする。
ふるさとの初穂の木の実きこしめせよしや黒みて色かはるとも