晴れだか、曇りだか。暑い。
気がつけばそら飛ぶつばめ、初つばめわが住む町に姿あらはす
九階のベランダに観る初つばめ舞台のごとく数羽飛び交ふ
ことし初の若きつばめの群舞あり。夏のはじめの空を彩る
『孟子』告子章句上145 孟季子、公都子に問うて曰く、「何を以て義は内と謂ふや」と。曰く、「吾が敬を行ふ。故に之を内と謂ふなり」と。「郷人、伯兄より長ずること一歳ならば、則ち誰をか敬せん」と。曰く、「兄を敬せん」と。「酌まば則ち誰をか先にせん」と。曰く、「先づ郷人に酌まん」と。「敬する所は此に在り。長ずる所は彼に在り。果して外に在り。内由りするに非ざるなり」と。公都子答ふること能はず。以て孟子に告ぐ。
同じ敬意でも相手によつて違うものがよりも内的ならむ
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
尼はかくこそ候へど 大安寺の一万法師も伯父ぞかし 甥もあり 東大寺にも修学して 子も持たり 雨気の候へば ものも着で参りけり (四句神歌・雑・三七七)
【現代語訳】尼はこんな風にみすぼらしい格好をしておりますが、大安寺の一万法師も伯父なのですよ。甥もあるのです。伯父さまは東大寺にも学んで、子どもだって持っているのです。雨が降りそうなので私はいい着物着ないで参ったのですよ。
【評】零落した尼が見栄を張って歌う一首。
さて、この一首の「子」について、ほとんどの注釈書では「尼」の子と解し、一部の注釈書で「甥」の子としているが、伯父である「一万法師」の子と見る説に従いいたい。「甥もあり」は「伯父ぞかし」に応じて、囃し詞的に後から挿入されたものと考えられるだろう。『梁塵秘抄』今様にはそのような例が多く、たとえば次のような歌の中の傍線部は挿入句と見ることができるからである。
近江の湖に立つ波は 花は咲けども実も熟らず 枝ささず や 比叡の御山の西裏にこそ や 水飲ありと聞け (二五四)
熊野へ参るには 紀路と伊勢路のどれ近し どれ遠し 広大慈悲の道なれば 紀路も伊勢路も遠からず (二五六)
甲斐国よりまかり出でて 信濃の御坂をくれくれと はるばると 鳥の子にしもあらねども 産毛も変はらで帰れとや (三六一)
楠葉の御牧の土器造 土器は造れど女の貌ぞよき あな美しやな あれを三車の四車の愛行輦にうち乗せて 受領の北の方と言はせばや (三七六)
これらの例の傍線部は直前の内容を繰り返したり、ほぼ同様の内容を添加するもの、あるいは反対側からの問い直しであって、強調の意味を持つものの、それがなければ一首の意味が成り立たないというわけではない。当該今様の「甥もあり」は、二五四番歌の「実も熟らず」に対して「枝ささず」を重ねて「実も熟らないし(それだけではなく)枝も伸びない」と表現した例のように(→二五四)、「伯父もいるし(それだけでなく)甥だっている」というような強調表現であろう。「甥もあり」をいったん除いて考えると、一首は伯父自慢で貫かれていることになる。そもそも、自分の父や子といった直接的な肉親でなく、伯父や甥を持ち出すところに、自慢の強引さが窺われ、滑稽感が増す。
「大安寺」は南都七大寺の一つ。インドの祇園精舎は兜率天をうつし、中国の西明寺は祇園精舎をうつし造ったが、大安寺はその西明寺の一院をうつしたものとされる。(『大鏡』藤原氏物語)。中世には衰退したが、平安時代には東大寺とならぶ大規模な寺であった。
「東大寺」は大仏で名高い南都最大規模の寺。「一万法師」は未詳だが、いかにも立派な名前で、強い印象を残す。
大安寺という大きな寺の法師であり、東大寺という最高の場所で学んだ一万法師はしかし子を持っているという。僧が子を持つことは最も目につきやすい破戒行為であり、これを揶揄する芸能は、古くから存在する。たとえば、百済から伝わり、飛鳥・奈良時代に最盛期を迎えた伎楽の中には「婆羅門」という曲があるが、天福元年(一二三三)成立の楽書『教訓抄』巻四はこの曲に「これ、ムツキアラヒと謂ふ」と注記している。婆羅門はインドの四姓制度における最上位で、僧侶・司教の階級であるが、僧侶が襁褓(おむつ)を洗うことの背後には女性と子どもの存在を想像させる。また、藤原明衡(九八九?~一〇六六)著『新猿楽記』の寸劇の題名に「妙高尼が襁褓乞ひ」があり、「妙高」といういかにも気高く清らかな名前の尼が「襁褓」を求めて奔走する様子を滑稽に演じたもので、子を抱えた破戒の尼を風刺する演目だったと思われる。時代は下るが、慶長九年(一六〇四)八月、豊臣秀吉七回忌を期して執行された祭礼の記録『豊国大明神臨時御祭礼記録』には、「比丘尼胎みたるを先に立て、坊主の後より団扇で仰いだり、尼の体をさすったりつねったりしている様子を滑稽に演じたものがあったらしい。
このような揶揄の対象となる行為を、悪びれもせず自慢する当該今様の尼の滑稽さは際立っている。この尼の言葉は、あるいは猿楽のような芸能の中で発せられたものではないだろうか。ぼろをまとった尼が、自慢にならぬ自慢を得意げに言い立てる。「立派なお坊様である伯父さんは、子どもだって持っているのです」と高らかに宣言して観客の爆笑を誘い、さらに、「雨気」に「尼」を響かせた言葉遊びで締めくくる。「雨気」は雨の降りそうな気配のことで、『源氏物語』藤裏葉巻に「雨気ありと、人々騒ぐに」と見える。この一首から老いた尼の「哀感」を読み取る説もあるが、むしろ、人間の虚栄心と僧侶の破戒を滑稽に描き出して風刺した演劇性の高い一首と捉えたい。