晴れてる。暑くなるらしい。
師の死を知るは四月二十九日、亡くなりしは二十四日しばしの空白
これの世に師のなき五日知らざればのほほんとゐる。許しがたき
師のいのち百一年の時をおもふ。三十余年も不足せしわれが
『孟子』告子章句上150-2 如し人の欲する所をして、生より甚しきもの莫からしめば、則ち凡そ以て生を得可き者は、何ぞ用ひざらんや。人の悪む所をして、死より甚だしき者莫からしめば、則ち凡そ以て患を辟く可き者は、何ぞ為さざらんや。是に由れば則ち生くるも、而も用ひざること有るなり。是に由れば則ち以て患を辟く可きも、而も為さざること有るなり。是の故に、欲する所、生より甚だしき者有り。悪む所、死より甚だしき者有り。独り賢者のみ是の心有るに非ざるなり。人皆之有り。賢者は能く喪ふこと勿きのみ。
欲するところが生以上、憎むところが死以上に人皆持てり賢者は忘れず
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
西の京行けば 雀燕筒鳥や さこそ聞け 色好みの多かる世なれば 人は響むとも 麿だに響まずは (四句神歌・雑・三八八)
【現代語訳】西の京を行けば、雀や燕や筒鳥が鳴き立てて飛び回っているってね。そう聞いているよ。色好みの多い世の中だから、人は騒ぎ立てるだろうが、私さえ騒がなかったらよいではまいか。
【評】旅先で遊女の誘いに乗ったりはしないと妻あるいは恋人に言い訳するような趣の一首。
「西の京」は、平安京の右京。一一世紀半ばに成立した漢詩文集『本朝文粋』所収、慶滋保胤(九三二?~一〇〇二)の「池亭記」には、「予、二十余年以来、東西の二京を歴見するに、西京は人家漸く稀なり。殆ど幽墟に幾し。人去ること有りて来ること無く、屋は壊るること有りて造ることなし」とあり、その荒廃ぶりが窺われる。
「雀」「燕」「筒鳥」は「色好み」との関連からすると、遊女・傀儡の類を指していると思われる。『梁塵秘抄』には、荷大社周辺の遊女を「烏」に譬えた例もあり(五一四)、軽やかに飛び回る鳥は遊女の譬えになりやすかったらしい。当該今様で、なぜこの三種の鳥が遊女を表すかについて、評釈は、雀・燕の語尾には「め(女)」が含まれ、筒鳥は渡り鳥であるからとするが、「メ」は鳥類を意味する接尾語で、ほかにも四十雀などがあり、渡り鳥は燕や雁など筒鳥以外にも多く存在するため、この三者が特に取り上げられる理由としてはやや弱いであろう。「すずねのいろごと」「はぐろ(歯黒)」「つつ(筒)」の隠語が見られるとする説もあるが、これらのような明確な隠語としての用例が平安時代末まで遡れるかどうかについては疑問が残る。
雀と燕は卑近な鳥として対のように取り上げられることがしばしばあるが、さらに陳渉が、小人物には英雄の志がわからないことを「燕雀安んぞ鴻鵠の志を知らんや」と嘆いたという『史記』陳渉世家の故事から、「燕雀」が小人物を表す場合があり、『凌雲集』や『本朝文粋』など平安時代の日本漢文にも用例が見られる。時代は下がるが文化四~八年(一八〇七~一八一一)刊、曲亭馬琴の読本『椿説弓張月』には「小ざかしき燕雀の共囀り、汝等が知る所にあらず」と見える。すなわち、燕と雀には、愚かでつまらないものが、うるさく騒ぎまわるというイメージがあり、当該今様において、遊女たちがうるさくつきまとい、袖を引くさまとよく通い合うように思われるのである。
雀、燕と並べられた「筒鳥」は、実際の鳥名としても比喩表現としても用例がほとんど見出だせないが、竹筒をポンポンと打つような声によって筒鳥と名付けられたらしいことからすると、やはりその声に特徴があり、つきまとってくる遊女たちの嬌声を印象的に表現していると考えられる。さらに言えば、筒鳥はホトトギス科の鳥で、鳥の美声に遠く及ばないので、時鳥に対してひどく劣っているというマイナス面は、燕雀が小人物の譬えになるという性質と重ねられるとも言えるのではないか。また「筒」は「拙ない」という意味を持っており、藤原明衡(九八九?~一〇六六)著『新猿楽記』では、裁縫に関して不器用なことを「手筒」と表現している。名前からして「拙ない鳥」であるとして「筒鳥」を軽んじた可能性もあろうか。
このように、雀、燕、筒鳥に対する、かしましく騒ぎ立てるつまらないものというやや差別的な把握は、妻や恋人に言い訳している男が遊女を譬えてみせるものとしてはふさわしいと言えるだろう。