5月21日(木)

今日は朝から雨。ずっと雨かな。

  春の日の羽咋の墓処を訪ねしは何かの兆しを感じたるか

  師の亡くなる二十日ほど前ふらつく足に羽咋の塋域

  迢空に別れし時は二十八それからの日々も迢空とありし

『孟子』告子章句上151 孟子曰く、「仁は人の心なり。義は人の路なり。其の路を(す)てて(よ)らず。其の心を(はう)して求むるを知らず。哀しいかな。人、(けい)(けん)の放すること有れば、則ち之を求むるを知る。心を放すること有りて、求むるを知らず。学問の道は他無し。其の放心を求むるのみ。

  仁は人の心、義は人の路見失いてそれを求めざれば学問も成らず

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

(うばらこぎ)小木(こき)の下にこそ (いたち)が笛吹き猿(かな)で かい奏で 稲子(いなご)麿(まろ)(め)拍子(はうし)つく さて蟋蟀(きりぎりす)鉦鼓(しやうご)の鉦鼓のよき上手(じやうず)   (四句神歌・雑・三九二)

【現代語訳】茨の若木の下にこそ、鼬が笛を吹き、猿が舞い、舞を舞い、バッタはおもしろがって拍子をとるよ。さて、蟋蟀は、鉦鼓の鉦鼓の名人だ。

【評】動物や虫を擬人化して、明るい奏楽の一場面を描いた一首。『狭衣物語』や『弁内侍日記』にも見え、広く愛誦されたらしい。

「鼬」は後足で立ち上がり、前足を顔の前に掲げるしぐさをすることがあり、「鼬の目陰」と呼ばれて、『源氏物語』の中にも出てきている。こうしたしぐさから笛を吹く動作が連想されたものであろう。

「稲子麿」は稲子を擬人化した呼び方でショウリョウバッタのこと。なぜショウリョウバッタが「拍子つく」と歌われたかについての明確な発言は西郷信綱が最初である。西郷説では、ショウリョウバッタが、神社の社人が立烏帽子を着けている姿に似ているため俗に「禰宜」と呼ばれていること(『本朝食鑑』)を引き、「禰宜」からの連想で笏拍子(笏を二つに割った形で、打ちならして拍子をとる楽器)を打つとしたのではないかと言う。さらにもう一つの可能性として、コメツキバッタの名があるように、後脚を持つと首を俯す姿に基づくものかもしれないという推測をあげるが、「禰宜」からの連想の方があたっているだろうと結論する。しかし、当該今様の鼬が笛を吹くという発想が、前足を顔の前に掲げる鼬の動作から生まれ、蟋蟀が鉦鼓(雅楽で用いられる、青銅製の円形の打楽器)の上手という表現が、コロコロリンリンといった金属的な蟋蟀(今のコオロギ)の鳴き声から生まれたと考えられることからすると、「禰宜」という俗称の連想から笏拍子というのでは獅子麿と拍子との関係が間接的に過ぎるのではないか。動作あるいは鳴き声と楽器とが直接的に結びついて歌われている中で稲子麿だけが異質に感じられる。むしろ西郷論が指摘しているもう一方―後脚をそろえ持つと体を上下に動かすというショウリョウバッタの性質―をふまえた表現なのではないか。ショウリョウバッタの後脚をとらえて囃す伝承童謡の中には「太鼓をあたいてごらん」(栃木県那須地方)というものがあり、ショウリョウバッタの屈伸運動を、打楽器をたたく姿と見ていて、当該今様との関わりからは注目される。その他の童謡の例もショウリョウバッタの動きを米搗きや機織りなど、一定のリズムを刻む作業とみなしていて興味深い。当該今様のバッタも、手でとらえないまでもピョンピョン飛び跳ねる様を、拍子をとると見たのであろう。

なお、「猿奏で」の「奏づ」は調子をとって手足を動かす、舞を舞う、の意。人間に近い猿の複雑な動きを舞と見たものであろう。建長六年(一二五四)成立の説話集『古今著聞集』巻二〇いは、鼓に合わせて巧みに緩急をつけた舞を舞い、終わると褒美を請う猿の話が見えている。

当該今様は、動物、虫の動きや鳴き声に細かな注意を払った上で、ふさわしい担当楽器(舞)が定められていて興味深い。

平安時代後半に制作されたと思われる絵巻『鳥獣人物戯画』(甲巻)の模本の一つに、住吉家伝来のものがある。その模本にのみ描かれる場面に、蛙の漕ぐ舟で、舟楽が催されているところがある。描かれている動物は、笛を吹く鼬、琵琶を弾く猿、笙をを吹く兎であり、動物の奏楽というテーマが絵画の世界でも好まれたことがわかる。

室町時代後期の中国山地に流布した田植歌を収録した『田植草紙』にも、「山が田を作ればおもしろいものやれ 猿は簓擦る 狸鼓 打つとの 打てばようなる狸の太鼓おもしろ 昔より簓は猿がよう擦る 山田の案山子いつまでも」といった同様の趣向の歌謡が見出される。昔話に目を向けると、瘤取りじいさんの昔話において、おじいさんが行き会ったのが鬼の酒宴の場ではなく、動物たちの奏楽の場であるという型もあり、猫が三味線、狸が太鼓、鼬が笛、狐が踊り(山形)、猫が三味線、鼬が拍子、狸が太鼓、狐が踊り(秋田)といったバリエーションが見られる。また、グリム童話の「ブレーメンの音楽隊」の話では、驢馬がリュート、犬が太鼓、猫が夜の音楽(セレナード)、鶏が歌を担当することを話し合っており、動物の歌舞奏楽というテーマの古今東西を問わぬ普遍性が知られる。当該今様は日本における動物の歌舞奏楽を描いた早い例と言うことができるだろう。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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