朝から雨だったが、後曇り。そしてまた雨らしい。
折口信夫に順ひしことを良しとしてその死の後をつつましく生く
折口博士記念古代研究所にほぼ十年なにものでもないわれが勤めし
師に近く十年過ごすになにごとも為さずに共に昼餉いただく
『孟子』告子章句上152 孟子曰く、「今、無名の指、屈して信びざる有り。疾痛して事に害あるに非ざるなり。如し能く之を信ばす者有らば、則ち秦楚の路をも遠しとせず。指の人に若かざるは、則ち悪むことを知る。心の人に若かざるは、則ち悪むことを知らず。此を之れ類を知らずと謂ふなり」
指が曲がつて伸びないことを知るも心が人並みでないそれこそ物の類を知らず
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
女の盛りなるは 十四五六歳二十三四とか 三十四五にしなりぬれば 紅葉の下葉に異ならず (四句神歌・雑・三九四)
【現代語訳】女の盛りなのは、十四、五、六歳から二十三、四あたりまでとか。三十四、五にもなれば、紅葉の下葉と変らないよ。
【評】女盛りを歌った歌。貴族の女子の裳着(成人式)が十二~十四歳くらいで行われたから、裳着を終えた頃が女盛りの起点として設定されていることになる。『平家物語』巻一「二代后」では故近衛天皇の皇后・藤原多子について、「御年二十二三にもやならせ給ひけむ、御盛りも少し過ぎさせおはしますほどなり」としており、二十二、三歳となれば女盛りも少し過ぎた時期であるとの認識が窺われる。「下葉」は枝の下の方で目立たない葉。容色の衰えを譬える。
女盛りの年齢は歌謡の普遍的なテーマとして、室町時代の小歌にもしばしば取り上げられる。小歌で取り上げられるのは、もっぱら十七、八である。
誰そよお軽忽 主ある我を締むるは 喰ひつくは よしや戯るるとも 十七八の習ひよ 十七八の習ひよ そとに喰ひついて給ふれなう 歯形のあれば顕るる(『閑吟集』)
(誰よ、軽はずみな。主ある私を抱きしめたり嚙んだりして。まあいいわ、少しぐらいふざけても、十七、八の女盛りとしては許されるでしょう。でも嚙むのはそっとしてね。歯形がついていたら、それであの人に知られてしまうわ)
十七八は早川の鮎候 寄せて寄せて 堰き寄せて 探らいなう お手で探らいなう(『宗安小歌集』)
(十七、八の娘は早い流れの川を泳ぐ若鮎みたいなもの。流れを堰き止め、こちらに寄せて引き寄せて、つかまえなさい、手を伸ばしてつかまえなさいよ)
これらの小歌は。女盛りの性的魅力を官能的に歌い、若さを謳歌する趣を持っているが、当該今様は「女の盛りなるは」と歌い出したのにもかかわらず、むしろ、紅葉の下葉に異ならぬという 盛りを過ぎた女の衰えの方に目を向けている。室町小歌とは対照的な歌い方になっていよう。