5月31日(日) なんと今日は古稀、七十の誕生日だ、ああ… 

曇っているが、やがて晴れるはずだ。

夕木春央『方舟』を読む。なんだか妙に時間がかかってしまった。だめなんだな。おそらく嫌いなんだ密室ミステリーってやつが。会話も普通じゃないし、登場人物もなんかなあ、という感じなのだ。また買ってしまったから読み終えたが、ほんとうは辞めたかった。私には面白くも何ともない。『十戒』も買ってしまったが……

  墨にまみれ黒き墨屋を舞台にする小説ありき。おほかた忘る

  朝早く興福寺境内を訪れる全て工事中の幕が掛かる

  南円堂の扉とざせば手を合す。不空羂索観音坐像に

『孟子』告子章句160 孟子曰く、「羿(げい)の人に射を教ふるには、必ず(こう)に志す。学者も亦必ず(こう)に志す。大匠(たいしやう)、人に(をし)ふるには、必ず規矩(きく)以てす。学者も亦必ず規矩を以てす」

  道に志すものは規矩に相当する仁義をこそ持て

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

鏡曇りては わが身こそやつれける わが身やつれては男退け引く (四句神歌・雑・四〇九)

【現代語訳】鏡は曇り、わが身こそはやつれ果ててしまった。わが身はやつれて、男も遠ざかってしまう。

【評】容色の衰えと男の夜離れを嘆く女の歌。平安時代の鏡は、白銅または青銅で鋳造するもので、さびて曇りが生じやすかった。鏡が曇るのは、物理的には時間が経過」したこと(鏡が新品ではなくなっていくこと)と手入れを怠ることによるのであろう。

なお、漢詩文においては、「君の出でしより、明鏡暗くして治まらず」(魏の徐幹「室思詩」『芸文類聚』)のように、恋人が去ってからというもの鏡が曇ってしまったことを詠むものや、「空閨静かにして、復た寒し……鏡暗くして晩の粧ひ難し」(梁の鮑泉「寒閨詩」『芸文類聚』)のように、孤閨をかこつ女の鏡が曇り、化粧を直すこともままならぬことを嘆くものが多く見られる。当該今様でも、鏡が曇ることの前提に男の夜離れがあり、そのために女は美しく装う張り合いも失って、やつれてしまったと言うのであろう。そしてさらに男の夜離れは加速する。結句が初句の原因にもなっており、一首は循環するような構造になっているとも受け止められるのである。

『枕草子』「心ときめきするもの」の段には「唐鏡のすこし暗き、見たる」とある。なぜ、少し曇りのある鏡を見ると「心ときめきする」(期待や不安に胸がどきどきする)のかについて、『枕草子』の注釈書は、「陰翳をおびた上等な鏡への心ときめき、「(夜目遠目の類で)自分が高貴な美女になったように見える」、「大切な鏡にくもりを発見した」、「自分の顔が深みを帯びて映ることを言うか。大切な鏡に曇りのあるのを発見した時の不安感か」、「やがてひどく錆びてしまうのではないかと、未来は絶望につながって、胸もつぶれる思い」などとするが、いずれにしても鏡に対する女の関心の強さが窺われよう。

藤原道綱母の日記『蜻蛉日記』上巻には「出でし日使ひし泔杯の水は、さながらありけり。上に塵ゐてあり」と見え、夫・兼家が道綱母のところから出て行った日に使った水が泔杯(洗髪などに用いる大きな容器)にそのまま残っていることが記される。水にほこりの浮いている様が、荒れていく二人の仲を象徴的に示しているが、鏡の曇りも男女の仲の荒廃を示すものとして効果的な表現となっていよう。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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