6月12日(金)

  酒に酔ひ懐石を食ふ安穏に笑ひをかはす妻とわたくし

  静岡の酒に酔ひ酔ふ二人なり。(くら)くなり見えぬ熱海の海原

『孟子』告子章句下166-3 曰く、「昔者(むかし)(おう)(へう) (き)(を)り、而うして河西(かせい)(よ)(うた)ふ。

(めん)(く)高唐(かうたう)(を)り、而うして(せい)(いう)善く歌ふ。(くわ)(しう)(き)(りやう)の妻。善く其の夫を(こく)し、而うして国俗を変ず。諸を内に有すれば、必ず諸を外に形す。其の事を為して其の功無き者は、(こん)未だ嘗て之を覩ざるなり。是の故に賢者無きなり。有らば則ち髠必ず之を識らん」と。曰く、「孔子魯の司寇(しこう)と為りて、用ひられず。従つて祭りしに、(はん)(にく)いたらず。(べん)を脱がずして(さ)る。知らざる者は以て肉の為なりと(な)し、其の知る者は以て礼無きが為なりと(な)す。(すなは)ち孔子は則ち微罪を以て(さ)らんと欲す。苟も去ることを為すを欲せざるなり。為す所は、衆人固より識らざるなり」と。

  かくのごとく君子のなすことには事情がありて衆人もとよりえあかることなし

    *   

今日も『梁塵秘抄』は休みにする。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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