6月28日(金)

朝少し曇っていたが、雨、雨……

  朝空に映す水たまりを越へてゆく越へて越へゆくいづくの町へ

  水たまりを長靴はひて蹴とばせば飛沫とぶとぶたのしきろかも

  水たまりを避けて足弱のわれまた老い病むに遠くへはゆかず

『孟子』尽心章句上179 孟子曰く、「求むれば則ち之を(え)(す)つれば則ち之を失ふ。是れ求めて(う)るに益有るなり。我に在る者を求むればなり。之を求むるに道有り。之を(う)るに命有り。是れ求めて得るに益無きなり。(ほか)に在る者を求むればなり」

  仁義礼智などの天爵を求むれば相応の道のうち進むべきなり一本の道 

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

淀川の底の深きに鮎の子の 鵜といふ鳥に背中食はれてきりきりめく いとほしや
                        (二句神歌・四七五)

【現代語訳】淀川の水底深いところで鮎の子が、鵜という鳥に背中を食われきりきりと身もだえる。なんとかわいそうなことよ。

【評】鵜飼の歌(三五五・四四〇)の中でも、食われる鮎の子に焦点を当てた一首。

「淀川」は琵琶湖に源を発し、木津川・桂川を合流して大阪湾に注ぐ川。『古今和歌集』に、    淀川のよどむと人は見るらめど流れて深き心あるものを (恋四・よみ人しらず)
(「淀」という名を持つために、淀川は浅くて流れの滞る川だと人は見ているようだけれど、本当はよく流れて深い川です。それと同じように、私の心を薄情でためらってばかりとあの人は見ているようだけれど、実は涙があふれるほどの深い思いがあるのです)

とあり、水がよどんでいるように見えながら実は流れていて、水深の深い川とされている。当該今様も、そのような川の深さを意識した歌い方であり、暗い水底は、悲劇をより一層強調する背景ともなっていよう。

「きりきりめく」は身をよじってもだえ苦しむさまを表していると思われるが『梁塵秘抄』に先行する用例を見出せない。慶長八年(一六〇三)刊の『日葡辞書』には「Qiri-qin」に「敏捷に働いたり、物事をしたりするさま」とあり、現代語と同様の意味が記される。この「きりきりめく」は鮮烈な印象を持った言葉であり、一首の眼目は身もだえする鮎の動きの描写のあったと考えられる。伝統的な和歌において、漁の対象となる鮎は、川をすばやく移動する様子を「さばしる」「のぼる」などと表現されることがほとんどである。「さばしる鮎」は『万葉集』に見えた言葉で、清涼で生き生きとした感じをあたえるものの、平安時代以降は類型的な表現として使われ、その内容も断末魔の苦しみとは遠く隔たっている。漁を遠くから眺めるのではなく、ごく近距離から観察し、鵜の嘴で傷ついた鮎の姿を、擬態語を使って具体的に表現するところに今様の特徴がよく表れているが、当該今様ではさらに苦しんでいる鮎が「子」であることによって、哀れさが一層強調されている。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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