雨です。曇りです。また雨です。
アスファルトの道にもところどころ傾斜あり避けることもできず
もともとに凸凹のある道にして棒のやうな足運びがたし
アスファルトの亀裂に小さな緑草定点観測のごとく写せり
『孟子』尽心章句上186 孟子曰く、「文王を待ちて而る後に興る者は、なり。の豪傑の士のきは、文王無しと雖も、猶ほ興る」
人並み優れた豪傑の士などは強化なくともみづから興起す
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
稲荷なる三つ群れ烏あはれなり 昼はれて夜はひとり寝 (二句神歌・神社歌・稲荷・五一四)
【現代語訳】稲荷三社の境内に棲む三つの群れ烏はかわいそうだよ。昼は仲良く戯れていても、夜は寂しく独り寝るのだよ。
【評】稲荷は京都市伏見区にある伏見稲荷大社。『延喜式』神明帳に「山城国紀伊郡稲荷神社三座」と見え、上・中・下の三社からなる。稲荷三社周辺の遊女たちを烏に譬えて歌った一首。遊女を烏に譬えることは三八八番歌にも見える。神社歌とはいいながら、信仰心を表出する歌ばかりではなく、色恋にまつわる歌が収められているところが興味深い。稲荷の神社歌にはことにその傾向が強く、失恋を神に恨んだり、八つ当たりしたりするような歌もとられている。
稲荷山社の数を人問はば つれなき人をみつと答へよ (五一五)
(稲荷山でお社の数を人が問うたならば、無情な人を「見つ」―「三つ」と答えなさいよ)
われといへば稲荷の神もつらきかな 人のためとは思はざりしを (五二〇)
(私に関して言えば、稲荷の神も酷いことなさるなあ。他人のためと思って祈ってきたわけではないのに)
五一五番歌は『拾遺和歌集』雑恋所収、平貞文(?~九二三)の詠。詞書によると、稲荷詣で出会った女にものを言いかけたが何の答もまかったので詠んだ歌という。また、五二〇番歌は『拾遺和歌集』雑恋所収、藤原長能(九四九?~一〇一二?)の詠。詞書によると、稲荷詣で見初めた女を他の男にとられてしまったために詠んだ歌という。
こうした恋愛に関わる歌が多いことは、稲荷の神の性格とも関わるものと思われる。
鎌倉時代中末期に成立したと考えられる『稲荷記』によると、稲荷の神は「御自称は愛法神」であり、「愛と云ひ、福と云ひ、日本無双の霊神」であって、男女の仲をとりもつ神として古くから信仰を集めていたらしい。藤原明衡(九八九?~一〇六六)著『新猿楽記』には、右衛門尉の第一の妻が夫の愛情を得るためにさまざまな神に祈りを捧げていることが記されるが、その中に「野干坂伊賀専の男祭」「稲荷山阿小町の愛法」に参加していることが見える。伊賀専も阿小町も稲荷系の神であるが、これらが愛欲の神であることは注目される。これに対応するように、鎌倉初期写『吒枳尼天祭文』(配偶者を求める男女に対しその成就を願うもの)には、願いをかける対象の神として「稲荷」「阿小町」もあげられている。当然予想されることではあるが、稲荷の持つ愛法神としての性格が、神歌の内容にも色濃く反映していることが確認できよう。
「睦る」は、親しんでまつわりつく意。「六つ」をかけ、「ひとり寝」の「一」とあわせて、三・六・一という数字の対比でもおもしろみを出している。