今日も曇りだね。振らないといいな。
山膚は夏の濃みどり薄雲の掛りて美麗なりさがみの山容
大剣をかつぎて上る大山の頂きの社に奉納したりき
もう疾うに登ることなど諦めて遠く見ているばかりの山頂
『孟子』尽心章句上188 孟子曰く、「を以て民を使へば、労すと雖も怨みず。を以て民を殺せば、死すと雖も殺す物を怨みず」
すべては民のためなり。仕事をするも死刑にするも怨むことなし
*
『梁塵秘抄』植木朝子編訳
このはがる巫女よ にをだにかかいで ゆゆしう憑き語る これを見たまへ (二句神歌・五六〇)
【現代語訳】この巫女は風変わりな巫女だよ。帷子を着て、あられもない姿で後ろを取り繕いもせず、恐ろしいほどの様子で神懸りして語るよ。これを御覧よ。
【評】二句神歌神社歌の後に、再び標題のない歌が十一首置かれる。当該今様はその中の一首で神懸りをした巫女の様子を生き生きと描く。
「帷子」は裏をつけない衣。「かかいで」は「かがはで」「かがらで」の誤写と見て、「破れも繕わないで」の意とする説、「とじつけないで」の意とする説、「くくりあげないで、尻からげをしないで」の意とする説、「尻さえ取り繕わず、丸出しで」の意とする説がある。いずれにしても乱れた姿を表している点では動かないが、一番目の説は、後ろをとじつけないという状態がどのような形になるのかがわかりにくく、また、二番目の言う尻からげをしないことは、帷子と同じ汗取の単である汗衫は裾を長く引くのが晴の姿であることを考えると、特に乱れた姿とも言えない。したがってここでは三番目の説に従った。
応長元年(一三一一)頃描かれた「松崎天神延喜絵」巻四には、上半身には何も着けず緋袴をはいた物狂いの女が錫杖を振り鳴らす様子が描かれている。この女は巫女ではないが、神懸りにせよ。物狂いにせよ、正気を失いあられもない姿となった女に対する人々の好奇心は並々ならぬものがあったであろう。