1972年の沖縄の本土復帰から50年。米軍基地だけでなく、沖縄の状況が変わったとは思えない。そして1932年のこの日、五・一五事件から90年である。日本が戦争へ向かう一つの転機であった。いまも世界中で市民が暴力の犠牲になっている。過去に学ぶことのない政治権力が多すぎる。人類は、確実に滅びにむかっている。
敷石のうへをつらなり懸命の蟻のあゆみあり芝地へ向かふ
山鳩の若き番の北側のベランダにきて糞落としけり

1972年の沖縄の本土復帰から50年。米軍基地だけでなく、沖縄の状況が変わったとは思えない。そして1932年のこの日、五・一五事件から90年である。日本が戦争へ向かう一つの転機であった。いまも世界中で市民が暴力の犠牲になっている。過去に学ぶことのない政治権力が多すぎる。人類は、確実に滅びにむかっている。
敷石のうへをつらなり懸命の蟻のあゆみあり芝地へ向かふ
山鳩の若き番の北側のベランダにきて糞落としけり

昨日は一日中雨でした。昨日からむすこが来ています。昨夜、ちょぴっと飲んで、今日の午前中は喫茶店につきあってくれました。
昨日の雨に紫陽花の広き葉もぬれて下垂る水のしづくのひかり
朝の日は濡れたる木々の葉を照らすいづれの木の葉もみどり濃くなる

録画してあった三島由紀夫に関する二本のNHKのドキュメンタリーを観る。川端康成との軋轢を描いたものと三島事件の日を検討したもの。どちらも多くは知っていることだが、おもしろかった。こんなことばが拾われている。「英雄として死ぬか、文豪として死ぬか」。川端がノーベル文学賞を取ることによって三島は英雄の死を選んだ。そして、これはドキュメンタリーの主張ではないが、1970年の三島の死は、25年後の殉死ではなかったか。昭和天皇にではない。きわめて抽象的な日本の伝統と文化への殉死。そう考えると少しだけだが、分かったような気になるのだが……
三島由紀夫その死の謎をいくたびもいくたびも問ふ「殉死」あるべし
川端と三島にありし確執をおもへば人は他愛なきもの

5月8日に韓国の抵抗の詩人金芝河が亡くなったという。享年81。また一人、人類の抵抗体が失われた。今朝の「天声人語」は、その金芝河にふれている。
金芝河よ いまこそ抵抗の秋なるにあの世から送れたましひの詩を
堆く薺の花の咲くところ坐して目つむり息ふかく吸ふ

志賀直哉『暗夜行路』を読んだ。学生時代に一度読んでいるが、最後の大山の場面しか覚えていないから、まったく新鮮な気持ちで読めた。主人公、時任謙作は、日本の近代小説特有のダメ男といっていいだろう。もっとしっかりせいよ、と声をかけたくなる。しかし、それこそが「『実存』のうめき」(尾崎一雄)なのだろう。大山での回心はやはり圧倒的なものである。一度読んでいるわりには、けっこう時間を要したが、よき読書でありました。
暗夜行路をためらひ身勝手に生きてゐる時任謙作の苦悩のうめき
大山の夜のたましひにふれたるか生死のさかひをさまよひたるは

昨日と違って朝から青天がひろがって山々のみどりが美しい。朝はまだ涼しかったが、ようように暖かくなってきた。頼んでいた三好達治『測量船』(講談社文芸文庫)が届く。
キッチンに小さなちひさなシャボン玉食器洗剤のボトルより飛ぶ
天井にとどく小さきシャボン玉すぐに消え去るシャボンもありき

昨日は母の日で、奈良の吉野の柿の葉寿司を妻が用意した。ひさしぶりの柿の葉寿司とちょっとの酒、うまかった。今日は曇りがちで涼しい。
柿の葉寿司の葉をはがし口に頬ばればここはそらみつ大和の国なり
柿の葉は大和五条のものなるか大きく厚く香りある葉は
