晴れ。今日から奈良へ。蔵王権現に逢いに。
「世界を修正する。」
テロルはあってはならないことだと思う。けれども……
テロルとは社会問題解決の古典的手法。こたびも無謀
コール・トーマス・アレン(31歳)
トランプや政府高官を殺さむに「世界を修正する」といふ何故か気になる
「世界を修正する」この語にこもる真実をくみとるべきか唾棄すべきか
『孟子』告子章句上146-2 孟子曰く、「乃ち其の情の若きは、則ち以て善を為す可し。乃ち所謂善なり。夫の不善を為すが若きは、才の罪に非ざるなり。惻隠の心は、人皆之有り。羞悪の心は、人皆之有り。恭敬の心は、人皆之有り。是非の心は、智なり。仁義礼智は、外由り我を鑠するに非ざるなり。我之を固有するなり。思はざるのみ。故に曰く、『求むれば則ち之を得、舎つれば則ち之を失ふ。或ひは相倍蓰して、算無き者は、其の才を尽すこと能はざる者なり』と。詩に曰く、『天の蒸民を生ずる、物有れば則有り。民は夷を秉る、是の懿徳を好む』と。孔子曰く、『此の詩を為る者は、其れ道を知れるか』と。故に物有れば必ず則有り。民は夷を秉る、故に是の懿徳を好む」と。
孟子の性善説を説くところそれぞれに論ず仁義礼智を
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
遊女の好むもの 雑芸鼓小端舟 簦翳艫取女 男の愛祈る百大夫 (四句神歌・雑・三八〇)
【現代語訳】遊女の好むものは、今様の歌々、鼓、小端舟、簦を翳す人、舟を漕ぐ女。男の愛情を得られるようにと祈る百大夫の神。
【評】遊女にとっての必需品が並べられた物尽くしの一首。道具(芸そのものおよび芸に直接必要なもの、乗り物)→伴う人々→信仰する神の順に素材が配置されており、遊芸の芸との関係性がごく強いものから周辺的なものへ移っていく。結句でやや意表をつくという、物尽くしよく見られる構成方法であろ。
「雑芸」は広義今様のことで、しばしば鼓の伴奏で歌われた。『法然上人行状絵図』巻三四には播磨国(現在の兵庫県西部)室津についた法然(一一三三~一二一二)の船に近づく遊女の小舟が描かれているが、鼓を抱えた遊女に傘をさしかける女性と、艪を漕ぐ女性が描かれており、この今様の歌っている状況と重なって三人一組で行動する遊女の様子がよく分かる。平安時代の遊女を主人公とする能「江口」でも、遊女は舟の作り物に三人並んで乗る姿で登場する。
百大夫は道祖神(さえのかみ・どうそじん)の別名で、峠や村境などの境界にあって悪霊疫病などを防ぐとともに、恋愛を司る神でもあった。堀河天皇(一〇八六~一一〇七在位)の時代に成立した歴史書『扶桑略記』天慶二年(九三九)九月二日条や、長久年間(一〇四〇~一〇四四)に成立した仏教説話集『本朝法華験記』下‐一二八には、男女の性器を象った道祖神のあったことが記される。鎌倉初期までは成立していた「吒枳尼天祭文」(高山寺蔵)は配偶者を請い求める男女がその成就を願うためののもので、妻を求める男性用、夫を求める女性用と二種類の祭文があるが、願いをかける対象の神として「柿本ノサヘ」「ソリ橋ノサヘ」「出雲道ノサヘ」「本辻ノサヘ」といった道祖神の名が見える。これらは柿の木の下、橋のたおと、道の入り口や出口、辻など、境界の地に祀られた道祖神であろう。境界を守り、恋の成就を導くという道祖神の性格がよく表れている。しかし、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』など、平安時代から鎌倉時代にかけての説話集をひもとくと、道祖神は、あるいかがわしさをもった格の低い神として扱われており、このような神に対して篤い信仰を寄せる遊女らの社会的地位を暗示しているとも見られよう。
大江匡房(一〇四一~一一一一)の記した『遊女記』『傀儡子記』には、遊女一人一人が道祖神の像を刻んで持っていたことや、傀儡が道祖神像の前で派手に歌い舞って祈りをささげたことが見える。