朝から晴れ。なかなか気持ちがいい。
池の底にひそむなまづが動きだす地上ははげしき地震に揺れたり
池の底に潜りてなまづをつかまへる粘りて人なすままにならず
大き口の上下にひげを生やしたるなまづ愛しやいとしやなまづ
『孟子』告子章句下168 魯、慎子をして将軍為らしめんと欲す。孟子曰く、「民を教へずして之を用ふるは、之を民を殃すと謂ふ。民を殃する者は、尭舜の世に容れられず。一たび戦ひて斉に勝ち、遂に南陽を有つとも、然も且つ不可なり」と。慎子勃然として悦ばずして、曰く、「此れ則ち滑釐の識らざる所なり」と。
魯、慎子を将軍にするといふ孟子それに反対す。慎子「滑釐の識らざるところ」
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
聞くにをかしき経読みは とうかく高砂の明泉房 江口のふちにたのやけの君 淀には大君次郎君
【現代語訳】聞いてほれぼれする読経上手は、とうかく明泉房、江口の岸辺にたのやけの君、淀には大君次郎君
【評】経読みの名人を列挙した歌。「とうかく」は未詳。「とにかくまあ第一に」の意とする説、「同学」と読んで仏教修行をする者ととる説などがある。
「高砂」は兵庫県高砂市。景勝地として有名な海岸。「江口」は大阪市東淀川区の港、「淀」は京都市伏見区にあった河港で、いずれも遊女の一大拠点であった。「たのやけの君」「大君」「次郎君」はそれぞれ遊女の名であろう。
読経は本来宗教的な行為であるが、一方では芸能化が進み、今様の歌唱・鑑賞と並ぶようなものにもなっていた。『紫式部日記』寛弘五年(一〇〇八)八月二十余日の記事には、中宮彰子の出産が近づいたために宿直している人々のうち、琴や笛などの管弦には熟達していない若者たちが、「読経あらそひ」をしたり、「今様歌ども」を歌ったりしていることが見える。時代は下るが『看聞御記』にも、「酒盛」の場で尼の「声明」が披露されている例が見られ(応永二三年<一四一六>三月一七日条、応永二四年閏五月四日条など)、読経のみならず仏教音楽が宴席で楽しまれていることが窺われる。
鎌倉時代前半に成立した説話集『宇治拾遺物語』三五話みは小式部内侍が恋人・藤原定頼の読経の声に感嘆した説話がある。(『古事談』巻二‐七七話にも)。定頼の読経は宗教者としてのものではないが、陽勝仙人がその読経に感じて聴聞に訪れたという説話も伝わり(『古事談』巻二‐七八話、『十訓抄』一〇‐一九)、広い階層の人々の、読経の優劣が取り沙汰されているのである。なお、小式部内侍の母・和泉式部読経の名手・道命との恋愛を語られており(一五)、母娘ともに読経に優れた美声の恋人を持っていたことになる。