6月17日(水)

朝は晴れているが、だんだんに曇って、やがて雨が……

  予定どほりにあぢさゐに藍の花咲けば六月にふる雨とおもひし

  早速に梅雨と名づけてこの雨の下ゆくわれはビニール傘に

  あぢさゐの青、そして藍の花見つつよろけてゆくは老いたるわれなり

『孟子』告子章句下168-2 曰く、「吾明らかに子に告げん。天子の地は方千里、千里ならざれば以て諸侯を待つに足らず。諸侯の地は方百里、百里ならざれば以て宗廟の典籍を守るに足らず。周公の魯に封ぜらるるや、方百里(た)り。地足らざるに非ず。而も百里に(けん)せり。太公の斉に封ぜらるるや、亦方百里為り。地足らずに非ず、而も百里に倹せり。今、魯は方百里なるもの五あり。子(お)(も)へらく、王者作ること有らば、則ち魯は損する所に在るか。益する所に在るかと。(ただ)(これ)を彼に取りて以て此に与ふるすら、然も且つ仁者は(な)さず。況んや人を殺して以て之を求むるに於てをや。君子の君に(つか)ふるや、努めて其の君を引きて、以て道に当り仁を(こころざ)さしむるのみ」と。

  君子が君に仕ふるはつとめて君を仁になさしめむ

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

月は船、星は白波、雲は海 いかに漕ぐらん(かつら)(をとこ)はただ一人して (二句神歌・四五〇)

【現代語訳】月は船、星は白波、雲は海。どんなふうに漕ぐのだろう、船頭の桂男はたった一人で。

【評】古歌の比喩を用いながら、天空の航海を幻想的に歌った一首。二句神歌は短歌

体(五・七・五・七・七)やそれに近い比較的短い詞章を持つ。

「桂男」月の中に住むとされた男。唐の段成式(八〇三?~八六三)著の『西陽雑俎』巻一によれば、呉剛という名で、月の中の桂の木を一人で切っているとする。当該今様では月の船を漕ぐ船頭に見立てている。

当該今様の発想の源ととしては、次のような万葉歌が指摘されている。

天の海に雲の波立ち月の船星の林に漕ぎ隠る見ゆ (巻七・一〇六八・柿本人麻呂)
(天の海に雲の波が立ち、月の船は星の林に漕ぎ入り隠れようとしているよ)

天の海に月の船浮け桂梶懸けて漕ぐ見ゆ月人をとこ(巻一〇・二二二三)
(天の海に月の船を浮かべ、桂の梶を取り付けて漕いでいるよ、月の若者が)

天平勝宝三年(七五一)成立の漢詩集『懐風藻』に収められた文武天皇の詩に「月の舟は霧の渚に移り、楓の楫は霧の浜に泛かぶ。……独り星間の鏡を以ちて、還に雲漢の津に浮かぶ」(月の舟は霧の立ち込めた渚に移り、桂の木で作った楫は霞のかかった浜に浮かぶ。……ただひとり月は星の間に照る鏡のような光をはなち、いよいよ更に天の河の渡し場に浮かぶ)という句がある。

「月」を船に譬えることはほぼ固定しているが、星、雲、霧、霞などがさまざまな比喩のバリエーションをもって表現されている。万葉歌で「林」に譬えられていた星を、当該今様は、「白波」として歌っており、比喩の具体的対応(白くきらめく星と波)が興味深い。星の美を歌った歌人として著名な建礼門院右京大夫(一一五七?~一二三三?)は、星空を「花の紙に、箔をうち散らしたるによう似たり」(縹色〈薄い藍色〉の紙に金銀の箔を散らしたようだ)と表現しているが、当該今様は雲の海の中で輝く星きらめく白波に見立てている。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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