一応晴れている。
春のかすみにもっさりとわれつつまれて心辟けどどこかわからず
圏央道を走る自動車の響きのみ全ては春のかすみのなかなり
食卓に朝のパンやサラダやら並べて食へど外は真っ白
『孟子』告子章句下174 陳子曰く、「古の君子は、如何なれば則ち仕ふる」と。孟子曰く、「就く所三、去る所三。之を迎ふるに敬を致して、以て礼有り、言、将に其の言を行はんとすれば、則ち之に就く。礼貌未だ衰へざるも、言行はざれば、則ち之を去る。其の次は、未だ其の言を行はずと雖も、之を迎ふるに敬を致して、以て礼有れば、則ち之に就く。礼貌衰ふれば、則ち之を去る。其の下は、朝に食はず、夕に食はず、飢餓して門戸を出づること能はず。君之を聞きて曰く、『吾、大にして其の道を行ふこと能はず。又其の言に従ふこと能はざるなり。我が土地に飢餓せしむるは、吾之を恥づ」と。之を周はば亦受く可きなり。死を免るるのみ』と。
古の君子が王に仕ふるはそれほど多くない礼節あらば
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
つはり肴に牡蠣もがな ただ一つ牡蠣も牡蠣 長門の入海のその浦なるや 岩の稜につきたる牡蠣こそや 読む文書く手も八十種好紫磨金色足ろうたる男子は産め
(二句神歌・四六一)
【現代語訳】悪阻のときの食べ物に牡蠣が欲しいな。たった一つでも牡蠣ならこんな牡蠣。長門の入り江のその浦にある岩の角についた牡蠣こそがね。そうすれば、読み書きに優れ、八十種好や紫磨金色を備えた仏様みたいに立派な男の子が産めるだろうよ。
【評】悪阻の時の栄養食として、牡蠣を歌った珍しい歌謡。ただし、後世の田植えに関わる神事歌謡やその継承歌謡には類型的な表現を見出すことができ、たとえば、天保一三年(一八四二)に一応の完成を見た土佐国(現在の高知県)の歌謡集『巷謡編』の安芸郡土佐おどりみ、 くきのお松らがつはり薬は何々 磯で磯物 山で当薬・蜜柑・柑子・橘 とあって、悪阻の時に食するものとして、磯物(磯でとれる物)、当薬(植物センブリの別名。乾燥させたものは胃薬として用いられた)、蜜柑などの柑橘類をあげている。
牡蠣は古くから食用とされ、『古事記』允恭天皇条に「夏草のあひねの浜に蠣貝に足踏みますな明かしてとほれ」(あいね〈地名であろうが、現在のどこにあたるかが未詳。「相寝」を響かせる〉の浜の牡蠣の貝殻に足に踏んでお怪我をなさいますな。夜を明かしてからお行きなさいませ)と歌われるところから、身をとった後の牡蠣の殻が浜辺に多く捨てられていたことが窺われる。
「長門」は国名とすれば現在の山口県であるが、広島県倉橋島を当てる説もある。倉橋島は古名長門島で『万葉集』巻一五に天平八年(七三六)遣新羅使一行が船を停泊させた場所として、「安房国長門島」が見える。正徳二年(一七一二)序の事典『和漢三才図絵』に「牡蠣……芸州広島産、小而味佳」(広島産は小さくて味がよい)などとあり、現在も広島が牡蠣の産地であることから倉橋島説は興味深いが、瀬戸内海はいずれの浜でも牡蠣がよく繁殖するというので、ただちには断定しがたい。
「稜」は角の意。一二世紀の辞書『類聚名義抄』(観智院本)に「稜 ソバ カド」とある。「八十種好」は仏や菩薩の備える身体上の八十種の特色。「紫磨金色」は紫色を帯びた金で最上の黄金。仏の身は紫磨金色であるとされる。山上憶良は、
銀も金も玉も何せむに優れる宝子にしかめやも (『万葉集』巻五・八〇三)
(銀も金も玉も何になろう。どんな優れた宝も子にまさるものがあろうか)
と詠んだが、当該今様は、これまで産まれる子が仏・菩薩にも匹敵するような優れた子であるよう願い、明るい予祝の気分にあふれた一首に仕立てている。