5月13日(水)

奈良最後の日、今日も晴れて暑い。

  天の(めい)(つるぎ)を授かり神兵隊事件につらなる右翼の面々

  血盟団事件、五・一五事件、二・二六事件、神兵隊事件……

  ときの首相犬養毅に引金をひく三上卓ただ太っ腹なり

  かくのごとき昭和維新を夢見つつわが少年期幸せなりき

『孟子』告子章句上147-2 口の味に於ける、同じく(たしな)むこと有るなり。(えき)(が)は先づ我が口の耆む所を得たる者なり。(も)し口の味に於けるや、其の性人と(こと)なること、犬馬の我と類を同じうせざるが(ごと)くならしめば、則ち天下何ぞ耆むこと、皆易芽の味に於けるに従はんや。味に至りては、天下易芽に期す。是れ天下の口相似たればなり。(ただ)耳も亦然り。声に至りては、天下師曠(しくわう)に期す。是れ天下の耳相似たればなり、惟目も亦然り。子都に至りては、天下其の(かう)を知らざる(な)きなり。子都の姣を知らざる者は、目無き者なり。」故に曰く、『口の味に於けるや、同じく耆むこと有り。耳の声に於けるや、同じく聴くこと有り。目の色に於けるや、同じく美とすること有り。心に至りて、独り同じく然りとする所無からんや』と。心の同じく然りとする所の者は何ぞや。(い)はく、理なり、義なり。聖人は先づ我が心の同じく然りとする所を得たるのみ。故に理義の我が心を悦ばすは、猶ほ芻豢(すうくわん)の我が口を悦ばすがごとし」

  理と義がわれらを満足させるのは牛羊・犬豕の肉うまきなり

     *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

娑婆にゆゆしく憎きもの 法師の焦る上馬(あがりうま)に乗りて 風吹けば口()きて (かしら)白かる翁どもの(わか)()好み (しうとめ)(あま)(ぎみ)のもの(ねた)み  (四句神歌・雑・三八四)

【現代語訳】この世でひどく憎らしいものは、法師が荒々しく跳ねる暴れ馬に乗り、風が吹くと口を開いている様子。頭の白いお爺さんたちが若い女を追いかけるさま。姑の尼君のやきもちやき。

【評】憎いもの尽くし。翁や姑の尼君といった老人に批判の目を向けている。最初に登場する法師の年齢ははっきりしないが、荒馬を乗りかこなせず、口を開けてぜいぜいと息をしているような描写からは若々しい感じは伝わってこない。したがって、当該今様は、年をとった老人への容赦ない嘲りに貫かれている一首と言えよう。

「焦る」は荒々しく躍り上がる意。文久五年(一二六八)成立の語源辞書『名語記』巻三・三四ォに「馬ノアセリサハク」とあり、巻八・八一ォには「馬ノ沛艾ナルヲアセルトイフ」とある。「沛艾」とは、馬が暴れ躍り上がるように行くさま。「上馬」は前足を跳ね上げ後ろ脚で立つようなかんの強い暴れ馬。

「姑の尼君」は年をとって尼姿になった姑。嫁入り婚前時代であるから、仲の良い娘夫婦に嫉妬している様子と見られる。   『枕草子』「憎きもの」の章段には、不快感を与えるさまざまな人間の様子が細かに描写されている。かなり長い章段であるから、今様と一律には比較できないが、この段で老人の様子が批判的に記されているのは一か所のみで、火桶や炭櫃ばどに近寄って手足をこすり合わせ、意地汚いまでの態度で暖をとろうとする様子や、座ろうとする場所を扇であおいで塵を払い、座ってからも落ち着かない態度でいる不作法を「憎し」とする。人間の見苦しさはさまざなあるが、今様は特に、老人のそれに集約した形で一首を構成したのであろう。

偏屈房主人
もともと偏屈ではありましたが、年を取るにつれていっそう偏屈の度が増したようで、新聞をひらいては腹を立て、テレビニュースを観ては憮然とし、スマートフォンのネットニュースにあきれかえる。だからといって何をするでもなくひとりぶつぶつ言うだけなのですが、これではただの偏屈じじいではないか。このコロナ禍時代にすることはないかと考えていたところ、まあ高邁なことができるわけもない。私には短歌しかなかったことにいまさらながら気づき、日付をもった短歌を作ってはどうだろうかと思いつきました。しばらくは二週間に一度くらいのペースで公開していこうと思っています。お読みいただければ幸い。お笑いくださればまたいっそうの喜びです。 2021年きさらぎ吉日

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