台風6号がくるらしい。よって激しい雨。
その足で、裏手にある新薬師寺へ
本堂に鎮座まします薬師如来われをも救ふか浄瑠璃世界へ
薬師如来坐像を囲む十二神将。皆それぞれに恐ろしき貌
『孟子』告子章句下162 曹交問うて曰く、「『人皆以て堯舜為る可し』と。諸有りや」と。孟子曰く、「然り」と。「交聞く、文王は十尺、湯は九尺四寸と。今、交は九尺四寸、以て長し。粟を食ふのみ。如何せば則ち可ならん」と。曰く、「奚ぞ是に有らんや。亦之を為さんのみ。此に人有り。力、一匹雛に勝ふること能はずとせば、則ち力無き人と為さん。今、百鈞を挙ぐと曰はば、則ち力有る人と為さん。然らば則ち烏獲の任を挙ぐれば、是れ亦烏獲為るのみ。夫れ人豈勝へざるを以て患へと為さんや。為さざるのみ。
尭・舜になるは身長ではないただその道を行ふのみなり
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
聖を立てじはや 袈裟を掛けじはや 数珠を持たじはや 年の若き折戯れせん
(四句神歌・雑・四二六)
【現代語訳】修験者として苦行を押し通したりするものか。袈裟をかけたりするまい。数珠なんかもたないよ。年の若いうちは恋をしたいものだよ。
【評】大胆な破戒宣言の歌。「じ」は打消しの意志を表し、「はや」は係助詞「は」と間投助詞または係助詞「や」が接合したもので強い感情を表す。袈裟や数珠(三〇四・三〇六)は聖につき物であり、それを身につけないということは、聖としての修行放棄を象徴的に示す。「戯れ」はここでは色恋に溺れる意。
当該今様から「人間主義的な口吻」「人間の自由な行動を尊ぶ声」を読み取る説や「教団に対する偉大な抵抗精神」を見る説もあるが、猿楽などの芸能と関わりながら僧の破戒(特に邪淫戒を破ること)がしばしば滑稽に歌われていることからすると、若い僧(役の役者)がいかにも開き直ったように装う戯れの歌、あるいは清僧ぶった者へのからかいの歌として、笑いを伴う一首と考えられるのではなかろうか。