晴れて暑い。蒸し暑い。
つつじの花もどくだみの花も終りしか欅も楠もみどり濃くして
山桃の木が落としたるつぶら実をつぶさぬやうにわが足運ぶ
ふみつぶす人もありしか木の下に山桃の赤き実の半つぶれ
『孟子』告子章句下170 白圭曰く、「吾二十にして一を取らんと欲す。如何」と。孟子曰く、「子の道は、狢の道なり。万室の国、一人陶すれば則ち可ならんか」と。曰く、「不可なり。器用ふるに足らざればなり」と。曰く、「夫れ狢は、五穀生ぜず、惟黍のみ之に生ず。城郭・宮室・宗廟・祭祀の礼無く、諸侯の幣帛・饔飧無く、百官・有司無し。故に二十にして一を取るも足れり。今や中国に居り、人倫を去り、君子無くんば、之を如何してか其れ可ならん。陶にして寡きすら、且つ以て国を為む可からず。況んや君子無きをや。之を堯舜の道より軽くせんと欲する者は、大狢・小狢なり。之を堯舜の道より重くせんと欲する者は、大桀・小桀なり」と。
国家を治むるには相当の費用が必要なり狢も桀も無きなり
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『梁塵秘抄』植木朝子編訳
垣越しに見れども飽かぬ撫子を 根ながら葉ながら風の吹きもこせかし
(二句神歌・四五二)
【現代語訳】垣根越しにいくら見ても見飽きない撫子を、根ごと葉ごとそっくり、風が吹き寄越してほしいなあ。
【評】撫子に見立てた可憐な少女への恋心を歌う一首。
『新撰朗詠集』巻下「隣家」所収の伊勢(八七二?~九三八?)の和歌「垣越しに見れども飽かぬ桜花根ごめに風の吹きもこさなん」による。『後撰和歌集』春下には「朝忠朝臣隣に侍りけるに、桜のいたう散りければ言ひつかはしける」という詞書とともに載り、第二・三句が「散り来る花を見るよりも」となっている。樹木の「桜」から、草の「撫子」に変化したことで、「撫でし子」(撫でいつくしんだ子)の語感とあいまって、対象となる女性の若さ、可愛らしさが強調され、歌い手の恋情もそれに連動して強められている。春の歌から夏の恋の歌へと変化し、「根ながら葉ながらと重ねた表現にも、恋慕の気持ちの強さがよく表れていよう。
あな恋し今も見てしか山がつの垣ほに咲ける大和撫子
(『古今和歌集』恋四・よみ人知らず)
(ああ恋しい、今も逢いたいことよ。山住みの人の垣根に咲いていた大和撫子のようなあの娘よ)
山がつの垣ほに生ふる撫子に思ひよそへぬ時の間ぞなき
(『拾遺和歌集』恋三・村上天皇)
(山人の垣根に生えている撫子によそへて、あなたを恋しく思わない時はないよ)
『拾遺和歌集』の和歌は、『古今和歌集』のよみ人知らず詠を下敷きにして、村上天皇が広幡御息所・計子に贈ったものである。計子は、『栄花物語』巻一によると、村上天皇の後宮の女性たちの中でも「あやしう心ことに心ばせあるさま」(なみはずれて格別たしなみ深い様子)で、帝も特に目をかけていたという。ここでの撫子の比喩は、ことさらにいとおしく思う女性を表していると言えよ う。このような撫子の比喩を十分に生かし、当該今様は、一途な恋心をまっすぐに歌い上げている。