6月4日(木)

昨日の台風6号が去って、曇りだそうだ。台風一過を期待したが……

  安底羅像、申年を守る神なれば殊更深く頭を下げる

  新薬師寺の鎮守社ならむ鏡神社。藤原広嗣の霊魂祀る

  十市皇女と市寸嶋比賣を祀る(ほこら)。因縁などなくもしばし祈れり

『孟子』告子章句下162-2 徐行して長者に(おく)る。之を(てい)と謂ふ。疾行(しつこう)して長者に先だつ、之を不弟と謂ふ。夫れ徐行は、豈人の能はざる所ならんや。為さざる所なり。堯舜の道は、孝弟のみ。(し)、尭の服を服し、尭の言を(しよう)し、尭の行ひを行はば、是れ堯のみ。子、(けつ)の服を服し、桀の言を誦し、桀の行ひを行はば、是れ桀のみ」と。曰く、「(かう)(すう)(くん)(まみ)ゆることを得て、以て(くわん)(か)る可し。願はくは留まって業を門に受けん」と。曰く、「夫れ道は大路の若く然り。豈知り難からんや。人求めざるを病むのみ。子帰りて之を求めば、余師有らん」と。

  ゆつくり歩き目上の人の後にしたがふ弟の徳といふべけんや

     *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

凄き山伏の好むものは 味気なき凍てたる山の芋 山葵(わさび)粿(かし)(よね)水雫 沢には根芹とか
                          (四句神歌・雑・四二七)

【現代語訳】恐ろしい山伏の好むものは、わびしいね、凍った山の芋なんてさ。山葵に粿米、水雫。沢には根芹とかいうことだよ。

【評】山伏の好むもの尽くし。「山伏」は山野をめぐって修行する者。「聖」と近い。「山伏」を形容する「凄し」の語は心に強烈な戦慄や感じさせる良いな様を表し、ここでは、ぞっとするほど恐ろしい、鬼気迫るような山伏の様子を言う。「粿米」は洗い清めた米。承平年間(九三一~九三八)に成立した『和名類聚抄』に「粿米」の和名として「加之與禰」が見え「淨米也」と見える。神仏に供えるためのものと見る説もあるが、「聖の好むもの」(四二五)に挙げられた茸や山菜が聖自身の食用だったことを考えると、「粿米」だけを神仏に供えるものとするのは躊躇される。なお新大系は「水雫」も神仏に供える閼伽水とするが、修行中にすくい飲む岩間の清水などを表現したものと解しておく。他に、原本「こしよね」を「こしろね(小白根)」と読んで野草のこととし、「水雫」も山菜野草の類であろうとする説もある。

わびしいものながらも、凍っているという状態によって清らかさを感じさせる「凍てたる山の芋」、清らかな水辺に生育する山葵や芹、洗った米、清水、と、氷や水の冷たく澄んだ様子が、山伏の修行生活の清貧ぶりを暗示して巧みである。

6月3日(水)

台風6号がくるらしい。よって激しい雨。

その足で、裏手にある新薬師寺へ

  本堂に鎮座まします薬師如来われをも救ふか浄瑠璃世界へ

  薬師如来坐像を囲む十二神将。皆それぞれに恐ろしき貌

『孟子』告子章句下162 曹交(さうかう)問うて曰く、「『人皆以て堯舜(た)る可し』と。(これ)有りや」と。孟子曰く、「然り」と。「(かう)聞く、(ぶん)(わう)十尺(じつしゃく)(たう)九尺(きうしやく)四寸(しすん)と。今、交は九尺四寸、以て長し。(ぞく)(くら)ふのみ。如何(いかん)せば則ち可ならん」と。曰く、「(なん)(ここ)に有らんや。亦之を(な)さんのみ。此に人有り。力、一匹(いちぼく)(すう)(た)ふること能はずとせば、則ち力無き人と為さん。今、百鈞(ひやくきん)を挙ぐと曰はば、則ち力有る人と為さん。然らば則ち(うく)(わく)の任を挙ぐれば、是れ亦烏獲(た)るのみ。夫れ人豈(た)へざるを以て(うれ)へと為さんや。為さざるのみ。

  尭・舜になるは身長ではないただその道を行ふのみなり

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

(ひじり)を立てじはや 袈裟(けさ)を掛けじはや 数珠(ずず)を持たじはや 年の若き折(たは)れせん
                         (四句神歌・雑・四二六)

【現代語訳】修験者として苦行を押し通したりするものか。袈裟をかけたりするまい。数珠なんかもたないよ。年の若いうちは恋をしたいものだよ。

【評】大胆な破戒宣言の歌。「じ」は打消しの意志を表し、「はや」は係助詞「は」と間投助詞または係助詞「や」が接合したもので強い感情を表す。袈裟や数珠(三〇四・三〇六)は聖につき物であり、それを身につけないということは、聖としての修行放棄を象徴的に示す。「戯れ」はここでは色恋に溺れる意。

当該今様から「人間主義的な口吻」「人間の自由な行動を尊ぶ声」を読み取る説や「教団に対する偉大な抵抗精神」を見る説もあるが、猿楽などの芸能と関わりながら僧の破戒(特に邪淫戒を破ること)がしばしば滑稽に歌われていることからすると、若い僧(役の役者)がいかにも開き直ったように装う戯れの歌、あるいは清僧ぶった者へのからかいの歌として、笑いを伴う一首と考えられるのではなかろうか。

6月2日(火)

午前中は曇りだけど昼ごろより台風の影響で雨らしい。

  一夜目も二夜目も同じメンバーに奈良の酒呑む楽しからずや

  二夜目には梁山泊とふ酒どころ酒も肴も忘れがたし

  入江泰吉の写真記念館。水に写る薬師寺の塔の一枚を求む

『孟子』告子章句下 孟子曰く、「是に答ふるに於いてや何か有らん。其の(もと)(はか)らずして其の末を(ひと)しうせば、方寸の木も、岑楼(しんろう)より高からしむ可し。金は羽より重しとは、豈(いち)(こう)(きん)と一(よ)(う)との(いひ)を謂はんや。食の重き者と礼の軽き者とを取りて之を比せば、蓋ぞ(ただ)に色重きのみならん。往きて之に応へて曰へ、『兄の(ひじ)(もと)らして之が食を奪へば則ち食を得るも、(もと)らざれば則ち食を得ず。則ち将に之を(もと)らんとするか。東家の牆を踰えて其の処子を摟けば則ち妻を得るも、摟かざれば則ち妻を得ず。則ち将に之を〇かんとするか』と」

どんな場合でも理不尽はよせおのづから礼を重んずべし

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

般若経をば船として 法華経八巻を帆に上げて 軸をば帆柱に や 夜叉不動尊に 楫取らせ 迎へたまへや罪人を    (四句神歌・雑・四二三)

【現代語訳】『般若経』をば船とし、『法華経』八巻を帆にあげて、経の巻軸を帆柱にして、ね、夜叉、不動尊に楫を取らせ、どうぞ浄土にお迎えください、罪人を。

【評】この上なく立派な船に乗り、頼もしい梶取に守られて浄土に渡ることを願う一首。

「般若経」は、般若波羅蜜(智慧の完成の意)について説かれた経典の総称。「法華経」は、日本では古来一般に最も重んじられた経典で、天台宗の根本聖典。

「夜叉」は鬼神の一つであるが、毘沙門天に属し、衆生を守る者とされた。「不動尊」は不動明王。忿怒の相で表現される仏教の守護神(二八四)

早くに指摘されているように、当該今様と同じような発想は、仏教関係の資料にしばしば見えている。

生死ノ大海タトヒ悪業ノナミタカクトモ般若ノ船にノリテ観世音菩薩ニカヂヲササセタテマツリテ菩提ノカノキシニワタラムコトハホドアルベキ事ニモアラズナムハベルベキ       (『法華修法一百座聞書抄』一一一〇年頃)

妙法蓮華ノ船ニノリ 精進波羅蜜帆ヲアゲテ 妙吉祥尊楫ヲ取リ 解脱ノ風にゾマカスベキ        (『菩提心讃』平安時代末期)

これらの例と比較すると、発想は共通するものの、当該今様の場合は経を記した巻物の紙が帆として風に翻り、経巻の軸が帆柱として屹立するという具体的で細かな描写がなされており、梶取も二人である。それも観音や妙吉祥尊(文殊菩薩)のような女性的姿、あるいは童子形に造形される優しく慈愛に満ちた菩薩ではなく、悪鬼の側面も持つ夜叉と忿怒の相を持つ不動明王であり、 強さ、頼もしさが強調される。具体性と勇猛さという、今様の性格の一面がよく表れていよう。

2026年6月1日(月)

今日も晴れ、晴れ、晴れ。

明治期のレンガ造りの記念的建造物

  炎天を奈良監獄を訪れしされど門前に排除されし

予約が必要らしい

  壁の奥、煉瓦造りの奈良監獄入りがたければ諦めがたし

『孟子』告子章句下161 任人(じんひと)屋盧子(をくろし)に問ふ有り。曰く、「礼と食を(いづ)れか重き」と。曰く、「礼重し」と。曰く、「礼を以て食すれば則ち飢ゑて死し、礼を以てせずして食すれば、食を得。必ず礼を以てせんか。親迎(しんげい)すれば則ち妻を得ず、親迎せざれば則ち妻を得。必ず親迎せんか」と。屋盧子対ふること能はず。明日(めいじつ)(すう)(ゆ)き、以て孟子に告ぐ。

  食と礼、妻と親どうしたらよいかわからざる屋盧子は問ひを孟子に預く

   *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

(かうべ)に遊ぶは(かしら)(じらみ) (おなじ)(くぼ)をぞ(き)めて食ふ 櫛の歯より天降る 麻笥(をごけ)の蓋にて命終はる
                           (四句神歌・雑・四一〇)

【現代語訳】頭で遊ぶのは頭虱。項のくぼみを決まっていつも食うのさ。でも結局は、髪を梳く櫛の歯の間から天降り、麻笥の蓋でご臨終だよ。

【評】櫛で梳き落とされ、爪でつぶされる虱を歌った一首。「天降る」「命終はる」といった大げさな表現で、害虫の虱に寄り添いながら、明るく滑稽な歌謡に仕立て上げている。「麻笥」は「をけ」とも言い、績に麻(細く裂いた麻を縒り合わせて長くつないだもの(を入れる器。檜の薄板を曲げて円筒形にしたもの。文永五年(一二六八)成立の語源辞書『名語記』に「シツノメカ持セルオコケ(賤の女が持せる麻小笥)」(巻八・二〇オ)とあって、庶民の女性の持ち物であったことがわかる。

虱が文芸作品に登場することはきわめて稀であり、江戸時代に至ってようやく用例が見出される程度である。俳諧の世界では、「夏衣いまだ虱を取り尽くさず」(『野ざらし紀行』)、「蚤虱馬の尿する枕もと」(『おくのほそ道』)、「うつるとも花見虱ぞよしの山」(『七番日記』)のように、虱が旅情を漂わせたり、のどかな気分を表したりなど、風流なものとして捉えられることもあり、芭蕉の俳文『幻住庵記』では、世俗を離れて隠棲し、虱をひねって過ごす時間が閑居の風情をよく表すものとして表現されてもいる。やや現実離れしたこれらの例に対し、今様はあくまでも、虱を害虫とする認識に立ち、その駆除の様子を歌っている。当該今様は、虱を取り扱という点で、俳諧にはるかに先行するものとして注目されるが、さらに虱そのものに焦点を当て、俳諧以上に積極的な擬人化によって、軽妙な笑いの世界を作り上げているのである。

なお、害虫の一生を歌う点で、当該今様と類似した発想を持つ韓国の童謡に次のようなものがある。

ダニくん、ダニくん、どうやって暮らしているの。五月、六月の暑さの中で。牛の足にぶら下がって、振り落とされて、通りがかりの人に踏みつけらあれて、黒い血を吐いて死んじゃうのさ。
             ビクターファミリークラブ『時の旅人 栄 Ⅰ』曲目解説)

虫は人間とあまりに隔たった姿態を持っていることもあって、不気味さや恐怖の念をかきたてることもある。たとえば、能「土蜘蛛」においては、土蜘蛛の精が妖怪として現れ、千筋の糸を出して討手を苦しめるが、建長六年(一二五四)成立の説話集『古今著聞集』巻二〇には、人間に復讐をとげる虱が登場する。ある田舎人が都の宿屋で首に喰いついていた虱を柱の穴に押し込めて帰る。一年後に再び都にやってきた田舎人はまた同じ宿屋に泊り、虱のことを思い出して柱の穴をあけてみると、やせほそった虱がまだそこにいて生きていた。自分の腕に置いてみると、虱は喰いついて血を吸う。やがてその跡がむしょうにかゆくなり、腫れ上がり、やがておびただしい瘡となって田舎人は死んでしまった。虱が恨みを晴らしたということであるらしい。

しかし今様は、人間と調和し得ない害虫も「頭に遊ぶ」と表現し、激しい嫌悪や恐怖ではなく、 明るい笑いをもって捉えているのである。

5月31日(日) なんと今日は古稀、七十の誕生日だ、ああ… 

曇っているが、やがて晴れるはずだ。

夕木春央『方舟』を読む。なんだか妙に時間がかかってしまった。だめなんだな。おそらく嫌いなんだ密室ミステリーってやつが。会話も普通じゃないし、登場人物もなんかなあ、という感じなのだ。また買ってしまったから読み終えたが、ほんとうは辞めたかった。私には面白くも何ともない。『十戒』も買ってしまったが……

  墨にまみれ黒き墨屋を舞台にする小説ありき。おほかた忘る

  朝早く興福寺境内を訪れる全て工事中の幕が掛かる

  南円堂の扉とざせば手を合す。不空羂索観音坐像に

『孟子』告子章句160 孟子曰く、「羿(げい)の人に射を教ふるには、必ず(こう)に志す。学者も亦必ず(こう)に志す。大匠(たいしやう)、人に(をし)ふるには、必ず規矩(きく)以てす。学者も亦必ず規矩を以てす」

  道に志すものは規矩に相当する仁義をこそ持て

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

鏡曇りては わが身こそやつれける わが身やつれては男退け引く (四句神歌・雑・四〇九)

【現代語訳】鏡は曇り、わが身こそはやつれ果ててしまった。わが身はやつれて、男も遠ざかってしまう。

【評】容色の衰えと男の夜離れを嘆く女の歌。平安時代の鏡は、白銅または青銅で鋳造するもので、さびて曇りが生じやすかった。鏡が曇るのは、物理的には時間が経過」したこと(鏡が新品ではなくなっていくこと)と手入れを怠ることによるのであろう。

なお、漢詩文においては、「君の出でしより、明鏡暗くして治まらず」(魏の徐幹「室思詩」『芸文類聚』)のように、恋人が去ってからというもの鏡が曇ってしまったことを詠むものや、「空閨静かにして、復た寒し……鏡暗くして晩の粧ひ難し」(梁の鮑泉「寒閨詩」『芸文類聚』)のように、孤閨をかこつ女の鏡が曇り、化粧を直すこともままならぬことを嘆くものが多く見られる。当該今様でも、鏡が曇ることの前提に男の夜離れがあり、そのために女は美しく装う張り合いも失って、やつれてしまったと言うのであろう。そしてさらに男の夜離れは加速する。結句が初句の原因にもなっており、一首は循環するような構造になっているとも受け止められるのである。

『枕草子』「心ときめきするもの」の段には「唐鏡のすこし暗き、見たる」とある。なぜ、少し曇りのある鏡を見ると「心ときめきする」(期待や不安に胸がどきどきする)のかについて、『枕草子』の注釈書は、「陰翳をおびた上等な鏡への心ときめき、「(夜目遠目の類で)自分が高貴な美女になったように見える」、「大切な鏡にくもりを発見した」、「自分の顔が深みを帯びて映ることを言うか。大切な鏡に曇りのあるのを発見した時の不安感か」、「やがてひどく錆びてしまうのではないかと、未来は絶望につながって、胸もつぶれる思い」などとするが、いずれにしても鏡に対する女の関心の強さが窺われよう。

藤原道綱母の日記『蜻蛉日記』上巻には「出でし日使ひし泔杯の水は、さながらありけり。上に塵ゐてあり」と見え、夫・兼家が道綱母のところから出て行った日に使った水が泔杯(洗髪などに用いる大きな容器)にそのまま残っていることが記される。水にほこりの浮いている様が、荒れていく二人の仲を象徴的に示しているが、鏡の曇りも男女の仲の荒廃を示すものとして効果的な表現となっていよう。

5月30日(土)

朝から晴れているが、涼しい。

  古梅園の女店主も鼬毛の筆一本に講釈長し

  店から奥へつながる線路いまもある墨を運ぶもトロッコにして

  ここも昔の町家造り間口が狭く奥行深し

『孟子』告子章句上159 孟子曰く、五穀の種の美なる者なり。苟も熟せずと為さば、(てい)(はい)(し)かず。夫れ仁も亦之を熟するに在るのみ」

  仁の徳はよく熟したるところにこそあれ

    *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

舞へ舞へ蝸牛(かたつぶり) 舞はぬものならば 馬の子や牛の子に(く)ゑさせてん 踏み(わ)らせてん (もこと)に美しく舞うたらば 花の園まで遊ばせん  (四句神歌・雑・四〇八)

【現代語訳】舞え舞え蝸牛よ。舞わないならば馬の子や牛の子に蹴らせちゃうぞ、踏み破らせちゃうぞ。本当にかわいらしく舞ったならば花園にまでも遊ばせてあげよう。

【評】蝸牛が触覚を出し入れする様子を「舞う」と表現し、蝸牛に呼びかける一首。虫への呼びかけの表現、さらには言うことをきかなければ罰を、言うことをきけば褒美を与えるとする表現は、次に掲げるように、後の伝承童謡の中にも多く見られる形式である。

まいまいつぼろ角出して見せろ 
(『弄鳩秘抄』常陸水戸周辺の童謡集。編者は文政七年(一八二四)没)

角出せ棒出せまひまひつぶり うらに喧嘩がある
(『嬉遊笑覧』文政一三年<一八三〇>一〇月序文の百科事典)

でんでんご でんでんご 早よ起きて水くめ お前の家が焼けるぞ (香川)

蝸牛(みよう) みょう 角出せ 角出さにゃ 家壊す           (新潟)

蝸牛(でんで)こない 出やっせ 早よ出なや 角折るぞ          (三重)

ちんなもう ちんなもう 米搗ち見しらば 飛ん出りよー     (沖縄)

蝸牛(べこ) べこ 角出せ 生味噌(か)せるなぁ             (青森)

蝸牛(めえめえこんしよ) 角出せ (こ)(ぬか)三升やろう                (愛知)

でんでんむし 角出せ槍出せ 蓑と笠を買うてやろ         (岡山)

火事や喧嘩であわてさせるもの、家(殻)を毀す、角を折るなどと脅すもの、米搗きや生味噌などおもしろいものや美味しいもので誘うものなどがあるが、これらと比較すると、、(角、槍などを)「出せ」とする後代の童謡に対して、今様は「舞え」と歌い、殻を破るのは馬や牛の「子」であるところがほほえましい。褒美にしても「米搗き」や「生味噌」「粉糠」「蓑笠」に対して花園での遊びを出す点、相対的に優しく典雅な趣が感じられる。なお、狂言「蝸牛」では、藪で寝ていた山伏を蝸牛と間違えた太郎冠者が、山伏に教えられるままに「雨も風も吹かぬに、出ざ釜打ち破ろう」と囃す。出てこなければ殻(釜)を打ち破るという脅し型の囃子物で、当該今様の前半と重なる。

蝸牛の童謡は、日本に限らず、世界各国に見られるが、当該歌謡はその中でも際立って美しい名作と言えよう。

蝸牛、蝸牛、角をお出し。角を出したらパンと大麦の粒をあげよう。

蝸牛、蝸牛、殻から出ておいで。出てこなかったら石炭のように真っ黒焦げに焼いちゃうよ。       (イギリス『マザーグース』)

蝸牛、蝸牛、角をお出し。ピローグをあげよう。
(井桁貞敏編『ロシア民衆文学』三省堂、一九七四年/ピローグはロシアの伝統的な料理で、生地の中に具を入れて焼き上げた大きなパン)

でんでん虫、でんでん虫 お前のうちが焼ける ソシラング持って出て来い
(金素雲『朝鮮童謡選』岩波文庫、一九三三年/ソシラングは鉄製の熊手)

なお、『法隆寺祈雨旧記』暦応三年(一三四〇)八月一二日条には雨を祈る際の芸能に「マへマヘカタツフリト云フ事」があったと記されている。蝸牛に扮した舞い手を当該今様に類似した歌で囃すものであったと思われるが、ここでは湿気を好む蝸牛が雨を呼ぶものとして捉えられているらしい。

さて、当該今様の影響を受けたと思われる寂蓮の和歌に、牛の子に踏まるな庭の蝸牛角のあるとて身をなたのみそ (『夫木和歌抄』十題百首)

がある。この寂蓮詠は建久二年(一一九一)閏一二月四日に披講されたもので、書物としての『梁塵秘抄』成立後二十年ほどが経っている。寂蓮の和歌には今様の影響を受けた見られる例が複数あるので、この蝸牛の和歌も当該今様を取り込んだものと考えてよかろう。今様で「踏み破らせるぞ」と脅された蝸牛に対し、寂蓮歌は、「踏まれるなよ」と励ますような詠み方になっている。この寂蓮詠は、俳諧書に引用され、江戸時代の蝸牛の俳諧には、寂蓮詠の影響が散見する。

ふみころされなよやかたつぶり  (『新増犬筑波集』)

文七にふまるな庭のかたつぶり  (『類柑子』其角)

たのみなき角としおもへ蝸牛   (『暁台句集』)

江戸時代には埋もれていた『梁塵秘抄』であるが、寂蓮詠を通して間接的に今様が俳諧に影響を与えていたことになる。

5月29日(金)

暑い。晴れ。初クーラー。

  険のあるみほとけの顔。躍るやうな蔵王権現わが目の前に

  土中より涌きくるごとく金泥の法華経納めし頼長の経塚

  三条通りの今西奈良漬店に講釈を聴く妻がうなづく

『孟子』告子章句158 孟子曰く、「仁の不仁に勝は、猶ほ水の火に勝つがごとし。今の仁を為す者は、猶ほ一杯の水を以て、一車薪の火を救ふがごときなり。熄まずんば、則ち之を水は火に勝たずと謂ふ。此れ又不仁に与するの甚しき者なり。亦終に必ず亡せんのみ」

孟子が言ふ仁が不仁に勝つは水が火に勝つごときなり

     *

『梁塵秘抄』植木朝子編訳

旅疲れでしょうか。今日はお休みします。